SPECIAL 2006

2006年8月31日 第36号 掲載


宗教家に聞く
浄土真宗本願寺派バンクーバー仏教会
 青木龍也(あおきたつや)開教使


浄土真宗本願寺派の開教使・青木龍也(あおきたつや)氏

定例会の後、参加者と談笑する青木氏

 バンクーバーではアジア文化や仏教について関心が高まっている。ダライラマの影響もあってか、チベット仏教やメディテーションに重きをおいた禅の仏教がその主である。日本人が親しんでいる仏教の宗派については、日系人以外にはほとんど知られていないのが現状である。しかし、そんなバンクーバーに純粋な日本の宗派の寺院があるのをご存知だろうか。シリーズ「宗教家に聞く」、今回は日本では最大の信者数をほこる浄土真宗本願寺派の開教使・青木龍也氏にお話を伺った。

青木氏と開教使という職業の出会い
 青木氏は北海道・旭川生まれの札幌育ち。浄土真宗本願寺派の僧籍を持つ父は旭川にあるお寺の三男であったため、実家の寺を継ぐことなく高校の教師として音楽を担当していた。

 そんな父が高校の研修でハワイを訪れた際、浄土真宗本願寺派の寺院が海外で活動しているのを目の当たりとした。これが父、そして青木氏が開教使(海外に浄土真宗の教え伝道するために派遣される僧侶のこと)を知るきっかけとなった。年を重ねるにつれ、僧侶という道への関心が強まった父は、やがて札幌近郊の住職が不在の浄土真宗本願寺派の寺院へ入寺し、自分の思う道を進むようになる。そんな父の後姿をみていた青木氏も、自分の将来に開教使を目指し始めた。

カナダへの留学
ー開教使への準備期間ー

 開教使になるためには宗教の知識だけではなく、英語も必要。青木氏は高校卒業後、アルバイトで貯えた資金をもとにエドモントンにあるカレッジのESLに留学する。その後、大学への進学を志し、最上級クラスを卒業すれば自動的に四年制大学に編入できるという、アルバータ州・レスブリッジ大学のESLへ編入。見事その条件を満たして大学に進学した。

 それまでの勉強で英語に対してはある程度の自信をもっていた青木氏だったが、大学に入るやいなやこの自信を覆すような事件が起こった。人類学のクラスで提出したレポートが、「ESLにもどり、文法をやりなおすように」と書かれて戻されてしまったのだ。点数もついていない門前払いの形だった。

 「さすがにこの時は、このままやっていけるのだろうかと不安になりました」と氏は当時を振り返る。しかしここで挫折しては、カナダで何も結果を出せないまま日本に帰ることになる。学内にある24時間利用可能な図書館を利用し、大学に寝泊りするくらい必死に頑張った。その甲斐あって成績は向上し、大学生活を続け、同大学より学士号を得るに至った。

カナダでの開教使の現状を知る
 戦時中の強制移動という歴史もあり、レスブリッジには日系人が多い。青木氏が在学していた当時は浄土真宗本願寺派の寺院が六か寺もあり、氏が目指していた開教使もその地へ派遣されていた。

 しかしここで見た開教使の姿は、氏が想像していたものとは違っていた。「日本では七百年の歴史があり、広く知られている日本の仏教(浄土真宗)もカナダでは僅か百年。そもそもベースとなる文化が違う中で仏教を広めることの難しさを痛感しました」

 もともと浄土真宗本願寺派の信者が多かった日本からのカナダ移民が、自分たちの心のよりどころとしてのお寺の必要性から、日本の総本山である西本願寺(京都)に開教使の派遣を依頼したのが1904年のことである。翌年には初代開教使である佐々木千重(ささきせんじゅう)氏がカナダに派遣され、バンクーバーにおいて仏教徒の集まりが活発になり、寺院建立へと至るのであった。

 その後、第二次大戦中の強制移動や反日感情、戦後の生活スタイルの変化などの要因からか、宗教的なものへの関心が次第に薄れ始め、信者数の減少が止まらないのが現状だ。

興味を持ったことに熱中する
 一方、大学での勉強に打ち込んでいた青木氏は、日本では体験できなかった最新技術に出会い興味を惹かれていった。「当時の日本では手書きか、せめてワープロ書きが主体であったレポート提出も、こちらではすでにインターネットやEメール等を駆使し、パソコンを使用して提出するのが当たり前の状態でした。自分は宗教学専攻の学生だったのですが、その枠にこだわらずコンピューターサイエンス、コンピューターグラフィックス、ウェブサイトといったIT関係のクラスも積極的に履修しました」

 コンピューターの映像技術などを駆使して、視覚的にもわかりやすい講演で知られている青木氏。その基礎はこの時期に確立されていた。

開教使への道を選ぶ

 「実際のところ、これからはコンピューター(IT)が重要視される時代になると直感し、IT産業への就職を考えていました」。そんな卒業を間近に控えた時、当時のカナダ開教総長であった生田享成(いくたきょうじょう)氏から開教使への誘いがあった。しかし、青木氏はその誘いを辞退した。「開教使の現状を知っていましたから、自分でその大役が引き受けられるとは思えない、つまり自信がなかったのです」

 断りながらも、これからの人生の岐路に立った青木氏は、自分が歩んできたこの十年を振り返ってみた。開教使になりたいという夢があったからこそ、不安も乗り越えて自分はここまで頑張って来た。その開教使への誘いを「自信がない」ということだけで辞退してしまっては、今までの努力は何のためだったのか。

 これもひとつの仏縁と思い、最後は青木氏のほうから総長に開教使になりたいと申し出た。

 大学卒業後、浄土真宗を学びに青木氏は日本に戻る。一年間は浄土真宗本願寺派の専門教育校である京都の中央佛教学院にて真宗の教義と法式(儀式)作法を学んだ。仏教が根付いていないカナダで布教するためには、浄土真宗の根本である仏教の知識が必要と感じた青木氏は龍谷大学の修士課程(マスターコース)に進学する。そこで多くの真宗の僧侶が専攻する真宗学(親鸞聖人の教えを中心に学ぶ専攻)ではなく、仏教学(印度、中国、日本の各宗仏教や印度哲学)をあえて専攻し、仏教の「空(くう)思想」に関して論文を提出し修士課程を修了した。このように、青木氏は開教使としての赴任の日に備えていった。

開教使としてバンクーバーに

 そして2003年6月、浄土真宗本願寺派の開教使としてバンクーバーに派遣される。「最初の2年はお寺に慣れるので精一杯でしたね。人の顔と名前を覚える、ネットワークを作るといった、活動の基盤作りで明け暮れました。」

 今年になってからは、伝道のため積極的にお寺から出て活動を開始した。「最近ではバーナビーにある日系プレースでのお盆のイベントを行い、多くの方に参拝頂き、法要後には盆踊りを楽しんでいただきました。とくに併設の日系ホームからは足腰の衰えから遠出できない高齢の方たちが訪れ、お盆参りと盆踊りを楽しんでくれました」。その笑顔を見て、自分の活動に手ごたえを感じたと氏は語る。

 「人を幸せにする方法は、やり方によっては簡単にもなります。何か満たされなくて尋ねてきた人に、求められるがまま、その方が欲しているものを与えれば満足感は得られるでしょう。たとえば自分が日本食レストランをやっているところに、『今日はハンバーガーが食べたい』というお客さんが来たとします。『よそへ行ってくれ』と追い返しては何の解決にもなりません。かと言ってそのままハンバーガーを出せば、その客はひとまず満足するものの、日本食という体にいいものを知る絶好の機会を逃したことになります。これが本当に彼を幸せにしたかというと、私にはそうは思えません」

 仏教を伝えることも、このたとえ話と同じと氏は語る。刹那(せつな)的な満足ではなく、心からの幸せを得る手伝いをするために開教使としての自分をどう生かすか、それが目下の課題とのこと。

開教使として、
出来ることを探る
 今年はカリフォルニア州から、氏のところで結婚式をあげる同性愛カップルが訪れる。BC州では同性愛結婚が法律上認められてはいるが、宗教上の観点からその婚姻に異議を唱える宗教も少なくない。そんな風潮に対し青木氏はこう語る。「仏様(仏像)を見てみましょう。女性に見えますか、男性に見えますか?現世に生きている私たちには男、女、その他いろいろな区別があり、又それにより様々な悩みも生じてきます。しかし仏様はそれを超越しているので、男でもあり女でもあるのです。そのような区別や悩みを越えたものが仏教の教えです。このように解釈すると、同性愛の結婚に対して否定的になる理由は私には見つかりません」

 かつて浄土真宗の宗祖・親鸞聖人は、僧侶が異性と関係を持つことを厳禁されていた時代にはじめて結婚に踏み切った。それは師である法然上人が「異性への欲望を捨てきれずに念仏に専念できぬのであれば、妻をめとって念仏に専念するがよい」との教えを実行したに過ぎなかったのだが、その当時には革新的な出来事であり異端でもあった。聖と俗の狭間にある浄土真宗において、なんら躊躇することはないというのが青木氏の考え方だ。

 「まだまだ開教使としては暗中模索の日々が続いています」最近は講演会やコンファレンスのパネリスト、精神病棟でのカウンセリングなど多忙な毎日を送っている。「明日の予定は、明日の朝になってから確認します。来週なんて遠い未来のようですよ」と話す氏の姿は、「今のこの一瞬に与えられた人生(仕事)を精一杯生きることが大事」と説いている僧侶として記者の目に映った。

(取材 平野直樹)