SPECIAL 2006
2006年8月17日 第34号 掲載
![]() 講演の合間にチェロを演奏 |
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8月1日、バンクーバーのFujiya本店で寺山心一翁(てらやま・しんいちろう)さんのチェロ演奏と講演が行われ、会場一杯に集まった聴衆は、寺山さんが末期のガンを消失させた体験談とチェロの柔らかい音色に聴き入った。そして会の終了後も寺山さんの前には、質問やサインを求める人々の列ができていた。
(写真 宮本さやか、文 平野香利)
仕事漬けの生活から腎臓ガンを患う
東芝勤務時代、寺山心一翁さんは、コンピューター用の半導体素子の技術開発を担当した。毎日会社に寝袋で寝泊りし、睡眠時間はわずか4時間。日にコーヒーを10杯以上飲み、朝から肉ばかり食べて自分を叱咤激励しながら仕事に明け暮れた。企業へのコンピューター導入指導にかかわったことをきっかけに、経営コンサルタントとして独立。朝5時からのミーティングもこなすハードなビジネスマン生活を送った。
そんな寺山さんの生活への警告は、肩こり、便秘となって現れた。体の毒素がたまったサインである。その後、39〜40度の熱が1カ月半続いた。わずか3分での診療と検査の結果をもって、医者は「異常なし」と言い、熱によるせっかくの自己治癒作用を、大量の抗生物質の投与で押さえ込んだ。
それからの体調は悪化の一途を辿り、血尿を見た。その後の診断で医者は「右の腎臓に腫瘍がある」と寺山さんに告げ、摘出手術の後、薬による治療が始まった。その4日目、髪の毛が束で抜け始め、ヒゲは一晩で真っ白になり、つめには線が入った。「この薬は血液に栄養分を運ばないものだ」と寺山さんは気付き、この異常な変化に危機を感じて、薬の正体を突き止めようとした。その薬の名は「シスプラチン(cisplatin)」。抗悪性腫瘍治療剤の一種とわかった。つまり抗ガン剤だったのだが、医者はガンであることを寺山さん自身には告げなかった。
抗ガン剤治療を受けていた入院中、寺山さんの夢に、自分が棺桶に入れられ葬式が行われている様子が現れた。妻が棺桶の蓋を石で叩いている場面で自分が「まだ生きているんだ!」と叫んで目が覚めた。見舞いに来た妻にこの夢を語ると、妻は大泣きに泣いた。
五感が敏感になって
その頃、寺山さんの五感が鋭くなってきた。好きだった激しい音楽は騒々しく思え、ヒーリングミュージックに落ち着きを感じた。病院の階の違う部屋で調理する食べ物のにおいや、看護師の体臭にも敏感になった。
平均5000あると言われる白血球の値は900にまで落ちた。簡単に風邪をひいてしまう状態である。病院スタッフの減る年末年始に外泊許可が出て、7割の患者が帰宅した。寺山さんはNHK紅白歌合戦もまともに見られないほど体力が落ちていた。
病院に戻ってからは、放射線治療が腎臓のリンパに30回行われた。体重は20キロ減り、自分で食事がとれなくなり、静脈からの点滴で栄養をとった。
そのうち同じ病室の患者たちから漂う体臭に耐え難くなり、においのない場所を求めて夜中に屋上へ行った。真夜中、屋上にいる寺山さんの姿をみつけて自殺未遂かと案じた病院側から帰宅許可が出た。ガンはすでに腎臓から肺のほうまで転移していた。ガンの末期の状態だった。
末期ガンの状態で病院を出て、自らホリスティックな癒しを行う
妻は夫がこのまま家で死ぬのだと覚悟した。家庭に帰ってからの寺山さんは水道水に悪臭を感じて、自分が飲める水を探した。見つけ出したその水を飲み続け、断食も試みた。さらに水酸化マグネシウムを飲むことで胃を洗浄した。病院を離れ、治療をやめたにもかかわらず、体の調子は好転してきた。
あるとき胸の痛むところに自分で手を当ててさすっていると、心臓の鼓動が感じられた。当たり前と思える心臓の鼓動だが、そこに寺山さんは特別な感慨を抱いた。人知れず動いている心臓への感謝の気持ちが湧き出てきたのだ。心臓をさすりがら寺山さんは思わず「心臓さん、ありがとう!」と言った。手を下にもっていき胃のところに手を当てては「胃さん、ありがとう!」と言った。しかし肺のところに手を当てたときは言う言葉が思いつかなかった。寺山さんは言う。「そのときふっと上から言葉が降りてきました。『(このガンは)自分が創ったんだ』と。そして『自分の子供だ、愛してるよ、腫瘍さん』、そう語りかけていくうちに、痛みが和らいだのです」
その後もずっとガンに愛を送り続けていくと、1週間ほどで重湯が喉を通るようになった。「重湯さん、ありがとう!」そう語りながら涙を流した。
それからは気付きの連続だった。朝、日の出の明るさに目覚めたとき、太陽によって地球が生かされ、自分が生かされていることに気付いた。「太陽さん、ありがとう!今日も生かしてもらってありがとうございます」。そうして毎日のように太陽を拝み始めた。
息を吐くことが大事
物理学を学んだ寺山さんは実験が好きだ。首までビニール袋をかぶって眠り、良く眠れたときと眠れなかったときの汗の量を計った。良く眠れたときは2000グラム、眠れなかったときは200グラムの汗が出ていた。「汗は体毒を出す作用であるから、良く眠れれば体は良くなる」と寺山さんは語る。当時、小学5年、中学3年、高校3年の子どもがいて、一番お金のかかる時期だったが、妻は「生きているだけでいい。働かなくていい」と言ってくれたことが寺山さんをほっとさせた。体を良くするために、さまざまなことに取り組んだ。それは銭湯に行って汗をかくこと、飲尿、般若心経を読むこと、体毒を呼気で吐き出すことだった。「息を吐くことを先にすると、体がどんどん良くなることがわかったのです」
フィンドホーンでハグのシャワーを受け、ガンがついに消滅
その後、シアトル出身のケイトさんとの出会いから、イギリスのフィンドホーンで開かれる国際会議へのパスポートを手にした。フィンドホーンは、神聖なエネルギーに守られながら、自然や精霊と共に生きようとする人々が共同体を作っている場所である。その地での国際会議の発表者に、自分でガンを癒してきた寺山さんがノミネートを受けたのである。その時点ではガンが完治したという自覚はなかったため、会議での発表に迷いはあったが、ある人物のメッセージに後押しされて、国際会議へと向かった。現地での出迎え者は、寺山さんにハグで歓迎の意を表した。「52歳の堅物の男性が、何人もの人にハグされてごらんなさい。びっくりして天にも昇る気分でした」
毎日何十人もの人からハグを受け、上機嫌で帰国した寺山さんは、帰宅後にCTスキャンでの検査を受けた。その結果、ガンは消えていた。
寺山さんが実践したことは、細胞をきれいにして愛を送ったことだという。そしてガン消滅の決め手となったことは「フィンドホーンの人々に、無条件の愛で迎えられたからだ」と寺山さんは回想する。寺山さんは自己治癒の方法として次のことを勧める。体力の落ちているときは、肉類を控えること。宿便を取り、体内を浄化し、そこへ愛を送ること。「細胞、血液を浄化することで感じる力を高め、その時々に自分の体が求めていることを知ることも大切」と寺山さんは力説した。聴衆からの「どんな水を飲めば良いのか」という質問には「いくつか飲み比べて、自分の直感で決めると良い。それでもわからない場合は2日間水を飲まず、自分の体が衰弱したところで飲み比べるとよい」と答えた。
寺山氏は病院の経営コンサルタントにあたった経験もある。そこから、「現在の日本の病院は、保健点数にならない医療はしない。3分間で5万円収益を上げないと経営が成り立たない」など、日本の医療保健制度や病院批判も交えての語りには、医療方法を自分で見極める参考となる情報が詰まっていた。
また、講演の合間には、チェロを取り出し「赤とんぼ」や「叱られて」など数曲を演奏。その音色は父からの子守歌のような落ち着きと温かさを会場に運んだ。
![]() 当地で多くのファンを作った寺山心一翁さん |
寺山心一翁さんプロフィール 早稲田大学出身。1984年に発症した腎臓ガンを自らの行動で癒したことから、チェロを手にしながら世界各地でガンの自然治癒の講演や指導にあたっている。現在、(有)超越意識研究所所長、国際和合医療協会副理事長、ホリスティック経営コンサルタントを務める。10月には『ガンが消えた!』という新しい著書が刊行予定(日本教文社より)。 www.shin-terayama.jp/ |