SPECIAL 2006
2006年2月23日 第9号 掲載
![]() 初校舎(前方木造建を1906年に、後方煉瓦建を1909年に建築) |
![]() お話を聞いた卒業生や理事のみなさん(上段右から、新納さん、雑本ローラさん、宇都さん、下段右から本間さん、吉田さん、雑本律さん) |
カナダでの日本語教育の場としてだけではなく、日本文化や伝統を伝えるコミュニティーの中心的な場として、さまざまな困難な時代を乗り越えてきた「バンク−バー日本語学校並びに日系人会館」が今年で創立100周年を迎える。
この100年の歴史はそのままカナダにおける日系コミュニティーの歴史と重ね合わせることができると言ってもいいだろう。
今年一年さまざまな記念イベントが予定されている。
日系コミュニティーが守り伝えきたこの学校の歴史と、新しい時代への展望を同学校の卒業生や理事たちに聞いた。
■日本語を学ぶことが必要だった時代に誕生
日本からの移民が盛んになった1880年代当初は、移民といっても男性独身者の出稼ぎ労働が大半だった。彼等の多くは漁業や製材業に従事していたが、そのうち家族を呼び寄せたりして1890年代には現在のチャイナタウンの北側・パウエルストリート沿いに日本人街が形成されていった。
「バンクーバー日本語学校並びに日系会館」の前身である「晩香波共立日本国民学校」が日本人街につくられたのは1906年。ちょうど今から100年前のことだ。当初は日本の小学校と同じように、語学ではなく普通の科目を子供たちに教えていたという。日本の学校と一つだけ違うことは英語の科目があったこと。
■コミュニティーの中心的役割を果たしてきた学校とホール
1919年には学校の名前が「国民学校」から「日本語学校」と変わった。それは子供たちが地元の公立学校へ通わなければいけないようになってからのこと。学校は“日本語を教える”場へと変わったが、日本の習慣や文化を守る場所としての役割は変わらなかった。
「当時は東洋人に選挙権がなく、職業も限られていたので子供たちが将来成長した時に日系企業で働くために『日本語を話すこと』というのがとても重要だったのです」と同学校の理事の一人・新納基久さん。
また、二世で1939年に同学校を卒業した吉田正子さんも、「親とのコミュニケーションを図るのにも日本語ですしね。そして親もいつかは日本へ帰ろうと思っていたんですよ」と語る。
1982年の卒業生であり、現在理事も務める日系三世の雑本(さいもと)ローラさんは、「この学校のすごいところはずっとボランティアで運営されていることなんです。“私立”ではなく“共立”。だれのものでもなくコミュニティー全体のものなんです。それは今でも変わらない」と学校の変わらない在り方を語る。
また宗教が関係していないのでだれもが集まることができる。そのこともコミュニティーの中で重要な役割を果たしてきた要因の一つだという。皇室が立ち寄られたり、各県人会、祝賀会など公民館として日系人の集いの場であった。
■困難な時代を乗り越えて
そして第二次世界大戦。日本人は強制的に海岸線160キロ以内から立ち退かされ、財産もすべて没収、コミュニティーも破壊され、日本語学校は全て閉鎖されてしまった。当時バンクーバー日本語学校に通っていた子供たちは1000人を越えていた。
戦後、没収されたビルディングの中で一つだけ元の持ち主に戻ったのが「バンクーバー日本語学校並びに日系人会館」であった。
創立された当時の木造校舎は現存していないが、1928年に建てられた“新校舎”は現在も使用されており、バンクーバー市の歴史的建造物に指定されている(現在は2000年に作られた5階建ての施設が主に使用されているが、隣接する“新校舎”もまだまだ現役として使われている)。
戦後、10年近くほかの目的で使われ倉庫のようになっていた学校を、卒業生や父兄が手づからペンキを塗り修繕して再び子供たちの学び舎として復活させ、1953年5月2日に「開校式」が盛大に行われた。
「日本が敗戦し自分たちもすべてを取られ、生活も大変な中でみんなが学校のために力を合わせたんです。これはすごいことです。まさしくゼロからのスタートだったんですよ」と理事の雑本ローラさんと、彼女の母で、この学校の卒業生・元母姉会々長、雑本律さんは、話していた。
学校にある皿は種類も形も色もバラバラ。これは一つひとつの家庭から学校のために寄せられたものだからだそうだ。こうして困難を乗り越えた学校はコミュニティーの象徴でもあり、今回の100年祭はとても意義があることだと理事たちは語る。
■多文化理解を深め真の■国際人を育成するために
時代の流れとともに日系人社会も少しずつ変化してきた。現在通う200人近い子供たちのうち両親ともに日系人なのは3割。ほかの子供たちのオリジナリティーは12カ国にも及ぶ。
そんな中で次世代を担う子供たちの意識を育成する工夫も新しく始まっている。それが1990年から始まった生徒会制度。語学学校で生徒会があるのはバンクーバー日本語学校ならでは。初期の生徒会長が、現在学校の運営に携わる理事の一人になっている。
また、パートナーシップ制度も積極的に行っており、地元の学校やホールだけでなく、日本の学校などとも手を結び、相互の多文化理解を深めるような活動も行っている。
■情操教育を大切にした保育
以前は日本語教育を目的としていたプリスクールも、1990年に「こどもの国」と名称を変更し、情緒豊かな子供を育てる保育を目標に“幼児教育部門”として新しくなった。
月曜日から土曜日までの毎日(年齢によって違う)、午前9〜 時までの3時間保育を行っている(土曜日は午後クラス1〜4時も)。入園前の2歳児クラスも行っている(毎週水曜日の午前9〜12時)。
見学も歓迎していて希望者は電話で受け付けている。
■日本の若者にも広く開放
日本から来た若者をボランティアとして積極的に受け入れてもいる。雑本ローラさんは、「もともと学校はボランティアで成り立っているので、長い短いに関わらずボランティアは大歓迎です。ワーキングホリデーや学生としてカナダに来て、日本では知らなかった日本文化をここで学んだ、という人も多いんですよ」と語る。
ファンドレイジングのためのバザーなどもしょっちゅう開催されており、販売のための饅頭や寿司づくりなど仕事もたくさんあるそうだ。ほかにも子供に携わる手伝い、図書の整理、イベントの手伝い、清掃、郵送ラベル貼りなどさまざまな仕事がある。
■2万冊を越える蔵書の図書館に、有意義な文化プログラム
子供たちの日本語学校のほかに、ここではさまざまな大人向けのプログラムも開催されており興味深い。例えば古典講座や習字、少林寺拳法、ピアノやバイオリンなど。日本語を学びたいという大人のための日本語学習コースもある。
図書館も専門書から小説、漫画まで2万3000冊の蔵書があり会員になれば(年会費20ドル)借りることができる。最近では小さな子供連れで一緒に童話や絵本の本を探して親子のふれあいを楽しむ場としても活用されているという。
また、格安のレント料で多目的に使用できるスペースを貸している。5階には素晴らしい眺めの40〜50人用の部屋、3・4階には10〜30人の集会用の部屋、1階の大ホールはコンサート、講演会、県人会、結婚式などに利用できるという。地下駐車場もあるので便利。
■100周年の記念行事の数々
今年は100周年を祝うさまざまなイベントが目白押しだ。
皮切りは2月26日(日/13〜15時30分/入場無料)の「ひな祭り人形展」。同校が持つ250体もの日本人形がホールに展示され、午後2時からはゲストからの祝いの言葉、琴や尺八の演奏、人形にまつわる話などが予定されている。これは今回の100周年をコミュニティーに知らせ一緒に祝う意味もかねた行事。茶菓も用意されているので友達を誘ってぜひ訪れたい。
また3月5日(日/12〜15時)に開催される「100周年春のバザー」も見逃せない。着物や陶器などのオークションも開催される予定。ドアプライズ抽選券付き前売り券は学校にて前日まで販売されているのでお早めに。
以降の行事はイベントカレンダーを参照してもらいたい。
(取材 吉川友恵)
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《2006年の主なイベント》 |
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