SPECIAL 2006
2006年2月9日 第7号 掲載
![]() スティーブストン仏教会のお堂にて |
![]() 12月の報恩講法要にて、不二川カナダ教区開教総長(写真左)、宮川オカナガン地区開教使(右)と共に |
2002年カナダ初の女性開教使として赴任したトロントを離れ、昨年12月スティーブストン仏教会へ赴任した釋氏真澄(きくち・ますみ)さん。開教使とは、浄土真宗本願寺派(西本願寺)から辞令を受け、アメリカ・ハワイ・南米・カナダに数百以上あり百年以上の歴史を持つ、本願寺派海外寺院に派遣される僧侶を指す。
真澄さんは兵庫県尼崎市で約500年間 代続いてきた源光寺の住職を父に持つ。
お寺の敷地内に母と祖母の営む幼稚園があり、将来はそこで教諭をすることを夢見ていた。中学高校ではバレーボールに情熱を傾け、自宅から京都の高校まで片道2時間の道のりは、筋力トレーニングのために重さ10キロもあるベストを着て、手には一つ4キロのダンベルを握りながら通った。そのおかげで高1の時にレギュラーメンバーになったが、それまでのハードな訓練が裏目に出て腰に痛みが走るようになり、大学受験を経て運動量が減った頃に痛みはピークに達した。それからの経験が真澄さんを開教使へと導いていった。
(以降、釋氏真澄さん談)
人生の挫折を味わった18歳での経験
京都女子大学で児童教育を学びましたが、大学1回生の時に腰痛がひどかったので病院で精密検査を受けたところ「椎間板ヘルニア」と診断されました。さらに医師から「手術をしても5人に1人は失敗して車椅子か寝たきりの生活になる可能性があります。この分だと子どもを産むのは難しいでしょう」と告げられました。当時は椅子に5分と座れないほど腰が痛い状態でしたから、今後普通の仕事も出来ないだろうし、将来もっと悪化し車椅子の生活になるかもしれないと考えました。それまで挫折知らずだった私は、そこからひきこもりに近い状態になり、死を考えたこともありました…。
それまでは、幼いころから親しんできた仏教に対して、「阿弥陀さんているの?極楽浄土ってあるの?」「正座をして苦しんで何かいいことあるの?」「お寺はこんなに古臭いからだれも来ないんだ」と、自分の価値観で傲慢に判断していました。しかし、2500年以上続いている仏教の伝統を、たった18年しか生きていない自分が判断するようなものではないと気付き反省しました。生きていく希望も無くなり、自分がぐしゃっとつぶされたようになった時、初めて心の底から「生きるとは何か」ということを、謙虚に仏教に問う日々が始まったのです・・・。
「自分の道」を見出して
車椅子生活の大変さを想像し、将来を悲観していた真澄さんに、友人のいとこである車椅子の学生がアメリカの大学で修士号を取ったと聞かされ、不意に北米への関心が芽生えた。また同時期に、他の友人の親戚がアメリカのお寺に勤め、現地で素晴らしい経験をしていることを知った。
海外の真宗寺院は、日系人の歴史とともにその心のよりどころとなりながら、日本のお寺よりも門徒さんとの心の距離が近いようだと、友人の話から感じました。そして「開教使として、仏教を一生懸命勉強して一生懸命伝えようとすれば、たとえ車椅子になっても人の役に立っていけるんじゃないか」と思ったのです。「これだ!これが私の道だ!」と確信の様なものを感じました。そして当時
歳の私は、早速西本願寺に駆け込み、「私、開教使になりたいです!」と言いました。でも結局、「何を考えているんだ!諦めなさい!」と、真面目に取り合ってもらえず、ただ一笑されてしまったんですよ(笑)。それに家族も猛反対でした。
当時、日本人女性の開教使は認められなかった。しかし真澄さんは「女性が開教使として認められる時代が来るかもしれない」と期待し、仏教の勉強に打ち込むと同時に語学習得に力を入れた。21歳で得度を受けた後は、当時良き相談相手であったドイツ人大学教授の勧めから、英語圏でなくドイツへ留学することを目標に据えて、ドイツ語を学んだ。そうした頃、受け止めがたい現実が釋氏家に訪れた。真澄さんたち4人姉妹の後に生まれ、寺の跡継ぎとして期待されていた乗龍(じょうりゅう)君(当時19歳)が交通事故死したのである。棺桶の中の乗龍君の顔は…供えられた白い菊に囲まれて光を放っていた。遺骨を一つ一つ拾うなか、ほど遠い世界と認識していた「お浄土極楽」が「いま弟が待ってくれていて、私がいつか必ず行く場所」に変わった。
私はそれまで自分を認めてもらおうと肩肘張って努力してきましたが、弟の清らかな表情を見て、「死」というこんなに静かで美しい姿が誰でも最期にあるのなら、無理せずリラックスして生きていけばいいんだと思えました。・・・が、同時に死と向き合い、初めて自分自身の中の宗教的問いも深まったのです。弟を失った悲しさと空虚感で毎日泣き暮らした辛い時期でもありました・・・。
そして、悲しみもなかなか癒せなかったある日の事です。それまでは、他の宗教や考えを持つ人を「あの人は間違えている」と、自己中心に強く判断していました。しかし、親鸞聖人の言葉を繰り返し味わう内に、私を取り囲む木も花も人も、あらゆるいのちは私を悟りに導こうとしているのかもしれない・・・それぞれが、ただそのままでいい、そのままが精一杯で美しいんだ。そう思えた瞬間、「光」に遇った様な気がします。生きとし生けるものを照らし、あたたかく包み込む光に・・・。その瞬間身体がふわっと軽くなり、急に楽になりました。心の中が喜びに満ち溢れてきたのです。不思議な体験でした。そして、その瞬間からまるで砂漠に水が染み込む様に、それまで我というものが跳ねのけていた言葉が、スーッと私の心に染み込んでいったのです。
ドイツでの経験を得て
さらに真澄さんは、人を失う苦しみを味わって初めて、「人は死んで浄土に生まれていく」という浄土教の優しさが、死に対する苦しみを和らげてくれることを味わう。そして人の死に向き合う方々の苦しみを和らげる僧侶の役割を感じた。そんな折、西本願寺からドイツの恵光寺へ派遣されるチャンスを得て、研修生としてドイツ・デュッセルドルフへ渡った。
恵光寺は、仏教伝道協会が建立した浄土真宗のお寺で、年に数回の法要には、ヨーロッパ各地から浄土真宗を信仰される白人の方たちがやってきました。その信仰の姿勢に刺激を受けましたね。そういう方たちは、家族はクリスチャンでも自分は仏教を信仰していることをものすごく誇りに感じていらっしゃいます。ただ、そこの皆さんの持っているものは、少し我や自惚れが強い気がして、仕様がありませんが日本の「自然な」仏教とは異質だと感じました。本来我を出さず、学べば学ぶほど謙虚になるものです。また、日本の文化は茶道や華道、武道にしても同じだと思います。民族と宗教や文化は一つで切り離せないものでしょうから。西洋ではまず自我の確立から始まりますし、謙虚とはただ弱いとみなされる傾向がありますよね。私はヨーロッパで、西洋人との価値観の違いを肌で感じ、日本仏教の精神を西洋で伝える事が、容易ではないことを痛感しました。
そのため13年越しの願いがかない、2001年に開教使の試験に通ったものの心境は複雑だった。だが、「〈ありのままに〉、ただ自分が仏教の教えから感動し学んだものを分かち合えれば…」という気持ちから、海外への任命を引き受けた。トロント仏教会では生田グラント開教使に指導を受けながら、葬儀や法要のためにしばしば何百キロもの距離を移動してのお勤めを果たしてきた。今後スティーブストン仏教会では独り立ちをし、新たな一歩を踏み出す。
「今まで数え切れない方々からお育てをいただきました。これからも念仏しながら、お育ての中自分なりに工夫して、カナダ人の方、そしてカナダ在住の日本人の方にも、〈ありがたい〉〈もったいない〉、そして〈おかげさま〉という、日本人に根付く仏教の素晴らしい精神を伝えていきたい」と語る真澄さん。「日本で習得した雅楽を通して、お寺の活性化に努めたい」「誰でも気軽に遊びに来られて、笑いで心なごむ場を作りたい」と抱負も語る。ひたむきではつらつとした真澄さんに周囲から温かな声援が送られている。
(取材 平野香利)
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釋氏真澄さん プロフィール 1971年兵庫県尼崎市に生まれる。京都女子大学卒業後、浄土真宗本願寺派宗務所に勤務中、ドイツでの研修をはさみ、龍谷大学、行信教校での就学を経て2002年より3年半のトロント仏教会駐在を経験。2005年12月よりスティーブストン仏教会に赴任。趣味は読書、音楽、スポーツ。 |
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