MAPLE 2006

2006年11月9日 第46号 掲載
 
晩秋のボストンで歴史と文学を旅する


文学者が愛した石畳の街を歩こう
 ボストンは歩くための街だ。お隣のブロックですら自動車を使うと言われるほど「歩かない」アメリカ人が、この街ではせっせと歩く。道路に引かれた赤い線をたどれば、アメリカの歴史教科書の「アメリカ独立革命」をそのまま体感できるからだ。また、この街は『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットから、エドガー・アラン・ポー、マルコムXまで、アメリカ文学を飾った人々の愛したところでもある。彼らが小説の構想を練りながら歩いた石畳は今でも、そのまま残されている。晩秋から冬にかけてのボストンは、文学の香りが特に豊かに感じられる季節。クリスマスのデコレーションも華やかさはないが、心が温まってくる。ゆったりと歴史と文学を旅してみよう。

角を曲がるごとに歴史が語りかけてくる

 マサチューセッツ州の州都ボストンは、現在の規模としては米国で20番目ぐらいの都市だが、米国建国の歴史の上では、フィラデルフィアと並んで最も重要な場所の一つだ。アメリカ独立革命のきっかけとなった「ボストン茶会事件」の舞台をはじめとして、植民地時代からアメリカ合衆国誕生に至るまでのプロセスでさまざまな役割を果たした史跡がダウンタウンを中心にたくさん残されている。

 これらの史跡をたどって歩くトレイルが設定されており、全体が「フリーダム・トレイル」と呼ばれる国定史跡となっている。トレイル沿いの歩道には赤い線が引かれ、ボストンを訪れる観光客の多くが、地図や歴史解説書を片手におよそ4キロの道のりを歩いていく。真夏のボストンはかなり暑くなるが、汗をだらだら流しながら歩いている人は少なくない。また、真冬の雪の中でも、まるで巡礼のように歩く人々が絶えない。この姿を見ていると、アメリカ人にとって、「独立革命」がどれほど重要な意味を持っているかが胸にせまってくる。

 この独立革命は、カナダ(英国の植民地だった時代)にとっても重要な関係がある。アメリカ独立に賛成しなかった人々の多くが、現在のカナダ領に入り「英国に忠誠をつくすロイヤリスト」となったことも、その一つ。当時英国領だったカナダは、この独立革命の「直接の標的」となったこともあり、1812年の米加戦争のように、独立直後のアメリカがカナダに「侵略」してきたことさえある。カナダの歴史を踏まえて、この「フリーダム・トレイル」を歩いてみると、また別の興味がわいてくることだろう。

文学散歩もボストンならでは

 アメリカ独立の歴史ばかりでなく、アメリカ文学の「揺りかご」としても、ボストンは重要な役割を果たして来た。19世紀のボストンは、アメリカの富の中心地にまで成長し、女性の権利拡張運動をはじめとする社会運動が活発な場所でもあった。哲学や文学を愛する人々も多く、「アメリカ文学の黄金時代」がこの街で開花していたのだ。ボストンが、「アメリカのアテネ」とか、「太陽系の中心」などという大げさなニックネームで呼ばれていたのも、この街の文化的活気を物語っている。20世紀になっても、この傾向は続き、マルコムXからホー・チ・ミンまで、この街の歴史を彩る人々が次々にやって来た。

 ロングフェローやオルコットなどが住んでいた住宅街は、ボストンのダウンタウンに当時とほとんど変わらない姿で残っている。18世紀に敷かれた石畳がそのままの場所もあり、今にも馬車が走って来るような雰囲気だ。さらに、郊外には、『若草物語』の舞台になったオーチャード・ハウスがあるレキシントンをはじめ、アメリカ文学、そして多くの映画の舞台となった場所が点在しているので、ボストンを基点にして「文学の小旅行」を楽しむこともできる。

(取材・文 宮田麻未 / 写真 神尾明朗)




フリーダム・トレイルの赤い線

 


ボストン・コモン周辺コース


 マサチューセッツの州議事堂前に広がる広場は、ボストン・コモンと呼ばれ、ボストン市民にも観光客にも人気のある場所だ。この周辺は「フリーダム・トレイル」に関連した歴史遺跡もたくさんあるが、アメリカ文学に深いゆかりのある場所でもある。

 スタートはオムニ・パーカー・ホテル(60 School St.)から。


ボストン・コモン

旧州議事堂


オムニ・パーカー・ホテル
 1855年の創業以来、ボストンを代表するホテルの一つ。マルコムXやホー・チ・ミンがここのレストランで皿洗いとして働いていたこともある。19世紀半ばに結成された「サタデー・クラブ」と呼ばれた社交団体は、このホテルで土曜日ごとに会合を開いていた。このクラブのメンバーには、哲学者のラルフ・エマーソンから詩人のジェームス・ラッセル・ロー、文学者ナサニエル・ホソーンなどもいた。

オムニ・パーカー・ホテル
旧市庁舎(45 School St.)
 1865年から100年以上にわたって、ボストンの市庁舎として使われていた建物。ピュリッツァー文学賞を受けたエドウィン・オコナーの小説 『The Last Hurrah』に登場するジェームス・カーリー市長は、この市庁舎で活躍した。

旧市庁舎
オールド・コーナー・ブックストアー
 School St. と Washington St. の角にある茶色の建物は1718年に建てられたものだが、19世紀になってからは、ウィリアム・ティックナーとジェームス・フィールドの二人が、さまざまなベストセラーや人気雑誌を発行する出版社をここで経営し、世界的に知られるようになった。「印税」や「著作権」というコンセプトが生み出されたのもこの場所だ。

オールド・コーナー・ブックストアー
エドガー・アラン・ポーの家
 ボストン・コモンの南側、Boylston St. には、19世紀以来、数々の名作劇が上演されたコロニアル劇場が今も営業している。その西側がポーがボストン滞在中に住んでいたエリア。昔はあまり治安の良い場所ではなかったらしい。ポーの最初の作品『Tamerlane and Other Poems』は、ボストンで出版された。その出版社は Washington St. と State St. の角にあったと言われ、この周辺がボストンの出版業界の中心地だった。

ポーの家があった辺り



ビーコン・ヒル周辺


 ボストンのビーコン・ヒルは、州議事堂の裏手に広がっている高級住宅地。赤いレンガ造り家が並び、本物のガス灯が今も柔らかな光を歩道になげかけている。まるで、19世紀にそのままタイムスリップしてしまったようだ。19世紀には、社会問題に関心の高い哲学者や文学者が集まって住んでおり、黒人の地位向上のために大きな役割を果たした人々も多かった。
 


ビーコン・ヒルの石畳

ビーコン・ヒルのサイン

 

ヘンリー・アダムスの家(57 Mount Vernon St.)
 アダムス家は、独立宣言の草稿著者や大統領などを輩出した名家。ヘンリー・アダムスも最初は政治家を志したが、その後、歴史家として有名になり、ボストンの出版業界にも大きな力を発した。

ヘンリー・アダムスの家
オルコット一族の家 (20 Pinkney St.)
 『若草物語』の作者、ルイザ・メイ・オルコットはコンコードに住んでいることが多かったが、一時滞在用の家をボストン市内にも持っていた。この家は彼女が20歳のときに住んでいた家で、同じ通りの43番地や81番地にも住んでいたことがある。

オルコットが20歳のときの家



オルコットの家
ルイスバーグ・スクエアー
 Louisburg Square 周辺は、今も静かな文学的香りを漂わせているエリアだが、この周辺には、ブロンソン・オルコット(10番地)をはじめとして、ウィリアム・ディーン・ハウエルズ(4番地と16番地)やジョン・グラハム・パルフェイ(5番地)などの文化人が住んでいたことで知られている。

ルイスバーグスクエアーの入り口