MAPLE 2006

2006年10月19日 第43号 掲載
 
第25回
バンクーバー国際映画祭閉幕


 世界50カ国、500本を超える作品が上演されたバンクーバー国際映画祭(VIFF)が14日、盛大なクロージングパーティーと共にその幕を降ろした。同映画祭は年々関心の高まりを見せ、どの作品も開始時間30分前には長蛇の列となり、入場券完売が続出した。今年はVIFF25周年に加え、香港映画発足30周年も重なり、例年になく華やかなイベントとなった。 

部門別受賞作品
■観客賞
『The Lives of Others』 (ドイツ)
■ベストカナダ映画賞
『Mystic Ball』 (オンタリオ州)
■ドキュメンタリー部門賞
『Have You Heard from Johannesburg?』 (アメリカ)
■審査員特別賞
『Radiant City』 (カナダ)
■カナダ西部地区部門賞
『Everything's Gone Green』 (BC州)
佳作・『Unnatural & Accidental』 (BC州)
■女流賞(BC州の女性監督または女優対象)
Carmen Moore(『Unnatural & Accidental』主演女優)
■ドラゴン&タイガー賞(アジアの新人監督対象)
『Todo Todo Teros』(フィリピン)
佳作・『Faceless Things』(韓国)/『Geo-Lobotomy』(韓国)

香港映画30周年記念式典(VIFFセンター)
【写真・左下】 左より、映画祭理事Alan Franey氏、明報北米CEO Ka-Ming Lui氏、香港経済貿易代表部理事Bassanio So氏、映画祭委員長Michael Francis氏

【写真・右下】 式典に招待された台湾映画『1年の初め(Do Over)』の鄭有傑(チェン・ヨウチェ)監督と女優の張榕容さん。「在日だった父との会話は日本語」という鄭監督は、北京語・広東語を操り英語も堪能の映画界注目の人物だ



映画製作者・出演者に直撃インタビュー!

 
 アメリカから出品の2本を含む、計6本の日本関連作品の監督や出演者が本紙のインタビューに応じてくれた。製作の裏話・秘話満載、クリエイターたちの素顔をのぞく!          (文・藍智子/写真・菊池友理)。

禅を世界に広めた仏教哲学者・鈴木大拙の回顧録
『A Zen Life--D.T. Suzuki』
マイケル・ゴールドバーグさん(監督)
 海外ではD.T. Suzukiの名で親しまれ、禅の心を英語で解説し続けた偉人・鈴木大拙(本名・貞太郎1870〜1996)が没して40年。生前の大拙の貴重な映像を収集し、遺族や関係者へのインタビューを通して彼の人間像を克明に記録した同作は、日本史上にとっての財産となるだろう。

―日本在住25年とのことですが、ビデオアートのイベントがきかっけで日本へ訪れたそうですね
M・G・「イベントに参加する人材を探すため、'71年に5カ月間、日本に滞在したんです。欧米からは百数十名の希望者が集まったのに日本からは参加がなく、それなら直接コンタクトしようと。そのイベントではソニーに協力してもらい、機材なども貸していただきました。まだ銀座のソニービルができたばかりでしたね。有名な映像作家らも参加し、日本初のビデオアート展『ビデオ・エクスチェンジ』を開催しました。それを機に、映像コンペの審査員や筑波大学講師などのお話もいただいて、カナダと日本を行き来するようになり、'82年に日本へ移住しました」

―永住を決めたのは仕事の関係ですか
M・G・「結婚したんです。ディクショナリー・ロマンスでした(笑)。お互い、相手の国の言葉を全然喋れない。でも友人に『お互いをわかってしまったら、絶対に結婚しないよ』と言われ、なるほどと思って。実際、英語の喋れる知人は離婚したけど、僕たちは25年経ってもまだ一緒にいる(笑)」

―奥様は日本人なんですね

M・G・「はい。子供たちも全然英語がダメ。最初はワイフが英語を勉強しようとしたんですが、日本に住んでいるんだから僕が日本語を覚える方が自然かなと。でも今も読めない書けない。わかるのは平仮名と漢字が2つ3つ(笑)。初めて銭湯へ行ったときに、 ”男“と ”女“という漢字だけ教わって行ったんです。でも書いてあったのは旧字で読めなかった。まあ、五分五分の確率だから大丈夫だろうと勘で入ったら『きゃ〜っ』。ハズレでした(笑)」

―鈴木大拙に興味を持ったきっかけは
M・G・「日本に嫁いだ外国人女性を追った前作、『外国人妻達の歳月』(NHK・ETV特集)で大拙を取り上げたくてコンタクトしたのが始まりでした。彼も国際結婚でしたから。結果的にそれはかなわなかったのですが、そのときに大拙の著書を読んだんです。百年も前に生きた人なのに、彼の考え方は現代にも充分通用する。大変感銘を受け、彼を直接知る人々も高齢となっているし、撮るなら急がねばと」

―恥ずかしながら、鈴木大拙さんを存じませんでした・・・
M・G・「今の若い人は知らないでしょうね。50〜60代以上の方なら、大学で一度は勉強したはず。特に哲学や仏教学では神様的存在で、座禅をやっている人はみんな知っています。ただ、話のレベルが高く、日本語だと逆に理解するのが難しい。英語の方は非常に解説がシンプルで、むしろわかりやすいですよ」

 
 晩年の鈴木大拙(『A Zen Life--D.T. Suzuki』より)


―お幾つで亡くなられたのですか
M・G・「95歳。鈴木大拙の主治医は日野原重明先生(ベストセラー『生き方上手』の著者)だったんですよ。日野原先生は現在94歳。75歳以上でないと入会できない『新老人の会』の創始者でもあるのですが、その会は大拙からインスピレーションを受けて立ち上げたそうです」

―貴重な記録作品になりましたね。チケットも売り切れで
M・G・「頑張りました(笑)。初めて大きなスクリーンで見たんですが、音響がいい出来で、本当に嬉しかった。11月29日には、日本語字幕を入れて赤坂のカナダ大使館で上映します。たぶんまたテレビでも放映になると思います」

*   *   *
 マイケルさん自身もNHK番組『ハローにっぽん』に出演した経緯がある。その番組内で「日本で墓に入るつもり」と発言し、周囲を沸かせたとか。ちなみにこのインタビューはすべて日本語である。恐れ入りました!


Michael Goldberg
‘45年カナダ生まれ。モントリオールのMcGill Universityなどを経て、‘71年バンクーバーへ拠点を移す。翌年International Video Exchange Directoriesの開催のため訪日。以降、日本のビデオアート啓蒙に尽力し、筑波大学、日本電子専門学校講師としても活躍。東京在住。

マイケル・ゴールドバーグ監督

NYの路上に生きた日系人画家・ジミー三力谷の姿を通し、人類の愚行を問う
『ミリキタニの猫 〜The Cats of Mirikitani〜 』
吉川昌宏さん(プロデューサー)

 これは日系人ホームレス・ジミー三力谷氏とリンダ・ハッテンドーフ監督との出会いで生まれたヒューマンドラマである。同時に、その出会いがなければ埋もれたまま朽ちたであろう、一人の男の人生ドラマでもある。三力谷氏を通して見る世界は、声高に平和を訴えるより顕著に人類の愚かさを知らしめる。暗部にスポットを当てながらもユーモラスで心温まるフィルムは、世界各国で感動を呼んだ。

―監督のリンダさんとの出会いは
吉川「リンダがジミーを撮り始めたのが'01年1月1日。その1カ月後、たまたま行った映画関係のワークショップの帰りに、エレベーターの中で『日本語わかる?』と、リンダに声を掛けられたんです。三力谷の作品に日本語が書かれているので、その意味を知りたいと」

―偶然の出会いから予想もしない展開になったわけですね。リンダさんにとっても初作品だとか
吉川「彼女はドキュメンタリーの編集が仕事で、自身の作品としてはこれが初めてになります」

―本当に素晴らしい映画でした
吉川「ありがとうございます。NYのトライベッカ映画祭でも、160本以上の作品の中から観客の投票による観客賞を取りまして、嬉しい驚きでした」

―三力谷さんへの反響も大きいのでは?
吉川「夏にはシアトルの美術館で個展を行い、映画を見た方から『絵を買いたい』というオファーもきていますね」

―三力谷さんの作品は色彩豊かで温かく、独特の風合いがあります。達筆だし
吉川「元々は日本画をやっていたと聞いています。彼は自分の作品に、必ずその日本画の恩師二人の名を入れるんです」

 その二人の名とは、日本画家の大家・川合玉堂と木村武山。劇中、巧みな筆さばきで墨絵を描く三力谷氏の姿や、氏の若き日の姿も出てくるが、育ちの良さを感じる好青年である。

―リンダさんは、初めはどういう目的でカメラを回していたのでしょうか
吉川「ホームレスの四季を撮るつもりだったようです。それが、9・11を境に全く違う方向へ行ってしまった。僕も、日本文化の説明くらいだったのが、こんなに深く関わることになって。ドキュメンタリーのセオリー的には、製作者は対象との距離を置くのが鉄則なので、本当は禁じ手なんです。それを心配していた時期もありましたけど」

―見るものにはそれもおもしろかったです。まさに事実は小説より奇なり、と感じました。壮絶な人生を送ってきたのに、三力谷さんはユーモラスだしお元気で・・・
吉川「ものすごくエキセントリックなおじいちゃんですよ。僕より長生きしそうです(笑)」

*   *   *
 現在86歳の三力谷氏は、リンダさんの尽力でケア付き一般住宅に住む。ミッドタウンの端で、吉川さんが「僕よりいいアパート(笑)」という、ブロードウェイまで徒歩で10分ほどの好立地だ。

 アイスランド映画祭の帰りだという吉川さんは、同国の国旗がついたバイキング帽を被り、「年齢は863歳です!」と、茶目っ気たっぷり。どことなく、三力谷氏と雰囲気が似ているのも何かの縁なのだろうか。10月後半には、日本での配給がほぼ確定したこの作品を携え、東京国際映画祭に行くという。リンダ監督により、二人の男の運命が変わった。

あらすじ
 NYソーホーでホームレスの日系人画家・ジミー三力谷と出会い、彼の描く絵に感銘した監督が、記録映画を撮り始めた。それから9カ月。9・11の粉塵に咽ぶ三力谷を自宅に呼び入れたことで物語は大きく転換する。5カ月に及ぶ1ルームでの共同生活は、三力谷の波乱に満ちた人生を浮き彫りにした。サクラメントで生まれ、幼い頃広島へ渡った三力谷は、太平洋戦争直前に絵を勉強するため再度渡米する。しかし彼を待ち受けていたのは、数々の悲しみだった。人格も財産も奪われた日系人収容所、原爆での家族の死・・・。すべてを飲み込み生きてきた三力谷は、“Make art not war”をモットーに、路上アーティストとしての自分にこだわり続ける。

■ジミー三力谷氏の作品も見られる公式サイト
http://www.thecatsofmirikitani.com/

よしかわ・まさひろ
東京都出身。大学卒業後渡米、オレゴン、ワシントンDCのフィルム・スクールにて映像を学ぶ。卒業後はニューヨークを拠点に、日米の映画やTV製作、プロデューサー、コーディネーター、通訳、ライターなど、映像に関わる分野でマルチに活動する。

三力谷氏のトレードマーク、
平和の祈りを込めた“ピース”でポーズする吉川さん

 
不条理カルマに捕らわれた虫けら人生に、 渡世術はあるのか
『カインの末裔 』
渡辺一志さん(主演俳優)

 社会の底辺をうごめく動物的な人々。安っぽくて嘘くさい希望・・・。人生の空虚感を端的に描いた同作品は、観る者の内部に様々なことを問いかける。こんな人生イヤだけど、案外こんなもんかもな、と。

―劇中に出てきた工場の小道具がどれもすごく懐かしかったです。昭和を思わせる感じで
渡辺「そういうレトロなテイストが好きな監督なんですよ。もっと他にこだわるとこがあるだろうと言うんですけど(笑)」

―不条理感の強い物語ですよね
渡辺「僕はあまりそうは思わないです。映画祭での最近の邦画は、カルトや自殺などを主題にしているものが非常に多い。それでいて問題提起はしていないという傾向があって違和感を覚えますね。死を扱うなら、エンターテイメントか答えを用意するしかないと思うのですが、その定義すらなくなっているのかなと・・・」

―本当はハリウッド映画のような作品がお好きで、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がマイベストだとか(笑)
渡辺「究極はそうですね(笑)。でも『カイン〜』は、奥秀太郎監督の脚本の中で1番おもしろいと思っています」

―監督が本業の渡辺さんですが、この世界に入った経緯は
渡辺「高校時代、映画部に誘われて。(プロになったのは)自分の書いた脚本を映画会社が買い取ってくれ、映画化されることになったのがきっかけです。自分の考えていたものが形になるのは、やはり楽しい」

―演じることについてはいかがですか
渡辺「(監督と演じること)それぞれ良さがあるのでどちらもおもしろい。ただ、監督をしていない自分に役者をする権利はないと思っています」

―この先、また俳優としてのオファーがあったら
渡辺「悩みどころなんですよ(笑)」

*   *   *
 まるで松田優作が再来したかのようなオーラを放つ渡辺さんに圧倒され続け、愚問を連発。イイ男の取材は抗体が出来るまで自重しようと誓った記者であった。渡辺さんが脚本と監督を手掛ける新作は、来春公開の『キャプテントキオ』、主演はあのWatのウエンツ瑛士である。でも個人的にはウエンツではなく、渋い渡辺さんを見たい。性懲りもなく。

あらすじ
 工業都市・川崎。出所したばかりの棟方は、うらぶれた電子部品の組立工場に辿り着く。工場の経営者、従業員、牧師、その娘。取り巻く人々と向き合うにつれ、人間の底に潜む醜さ、人生に漂う限りない悲しみ、日常を支える不条理が浮き彫りになってゆく。


わたなべ・かずし
 76年名古屋市出身。23歳のときに制作した『19』が海外で注目される。サラエボ映画祭では映画通で知られるデザイナーのアニエスb氏の激賞を受け、新人監督特別賞を受賞。映画監督が本業だが抜きん出た演技力にも定評がある。

この格好は「スティーブ・マックイーンみたいな中年になりたい」という願いを込めたお気に入りの装い

 

感動!横浜の伝説娼婦・メリーさんと彼女を支えた人々の人生劇場
『ヨコハマメリー 』
中村高寛さん(監督)/中澤健介さん(撮影)

 伊勢崎町を拠点に74歳まで現役の娼婦を貫いたメリーさん。かつて激しい恋をしたアメリカ人将校との再会を希望に生きたメリーさん。人に嘲笑されようと、毅然と悠然と愛に生きたメリーさん。運命を呪うことも、悲劇のヒロインになることもなく、最後まで美しかった。物語はメリーさんの支援者・元次郎さんの人生と絡み合い、「生きること」を問う。気だるいBGMとファンキーなテーマ曲が頭から離れない。泣けた。

―メリーさんを撮ろうと思ったのは
中村「メリーさんは横浜では有名で、私もよく見かけていたんです。95年に街からいなくなり、それまでさほど興味がなかったのが急に気になった。いろいろと調べていくうちに、周囲を追うことでメリーさんの輪郭が浮かび上がったらおもしろい作品になるのではと思い始めて。これはメリーさんの物語というより、彼女に関わった人々の記録なんです」

―メリーさんは今もお元気なのですか
中村「去年の1月に・・・84歳でした」

―ということは、74歳まで横浜にいたわけですね
中村「はい。劇中で使用しているメリーさんの過去の映像は、93年くらいに撮影されたものとのことで、72歳くらいですが」


 
在りし日のメリーさん(『ヨコハマメリー』より)


―実際、 ”お仕事“はされていたのでしょうか
中村「直球ですね(笑)。エレベーターガールをしたり、声が掛かったら支援者の方々がホテルに付き添ったりという感じだったようです」

―彼女に声を掛けられることは男性の名誉だったそうですが、お二人は・・・
中村・中澤「なかったですね。あまり若い人には声を掛けないんですよ」

―インテリな人に声を掛けるそうですよね
中村・中澤「すいません、インテリじゃなくて(笑)」

―そういうつもりでは(笑)。メリーさんを知る人々を探すのは大変でしたでしょう
中村「メリーさんの写真集を出された森日出夫さんの周囲に関係者が集まっていたんですよ。その写真集が点と点だった人々を結び付けて」

―メリーさんの ”お客さん“だった方との接触は・・・
中村「またそっちですか(笑)。これはメリーさんに関わった人のドキュメンタリーなので、そういう証言は求めてなかったし、普通に考えて出てもらえないでしょう(笑)」

―確かに(笑)。メリーさんは愛に生きた女性ですよね。本国に帰ってしまったアメリカ人将校を、別れた横浜で、出逢ったときと同じ娼婦のままで50年も待ち続けて・・・
中村「同じ女性としてどうですか」

―相手を怨むでもなく、その恋を信じて清らかに生きたことに感銘を受けました。見習わなくてはと
中村「そういう経験があるんですか(笑)」

―女性は皆、一度はあるんじゃないですか(笑)。そのときの将校の気持ちも嘘ではなかったと思います。別れの日、出港ギリギリまで抱き合っていたという目撃証言もありましたし
中澤「女性にはそういう捉え方が多いようです。自分としてはあれは1つの話だし、すべてが噂で真実はわからない。僕たちは元次郎さん(*1)に生きて欲しいとか、本筋の方にいってしまうけど、女性ってそうなのかと思いました。嬉しいですよね」

―メリーさんのあのすごい衣装だって、昔、恋人だった将校に褒められたから続けていたと思うんですよ
中村「そのように解釈する女性は多いですね」
中澤「めちゃくちゃ美しいね、その解釈は」

―白塗りもきっと自分の心を守るためだし。最後に出てきた素顔がすごくきれいだったのが印象的でした
中澤「犬の散歩でよく出会う奥様方は、『ドーランが肌を守っていたからあれだけきれいだったのよ』って(笑)」
中村「寝るときもあのおしろいのままなんですよ。それが美容に良かったのかな」


 
監督と二人三脚で制作に携わったカメラマンの中澤健介さん


―それもあったでしょうが、女性は恋をするときれいになるんですよ。ずっと将校との恋を信じていたからきれいなままでいられたんじゃないかと思います
中村・中澤「すごいいい解釈ですね。嬉しいな、それ」

―撮影中に印象的だったことはありますか
中澤「僕たちは元次郎さんの人間性に心底惚れてしまったんです。撮影を始めた頃はまだ癌も発覚していなくて、ゲイの妖艶さが何ともいえなかった。病気が出てからは後光が射したようになって・・・夢中で撮りました」
中村「彼は『私は田舎のプレスリーだから』というのが口癖だったんです。デビューが遅れてメジャーになれなかったから」

―今まさに日本全国、世界を回っていますよね、元次郎さんも一緒に
中村「このときまで生きていて見て欲しかったですね」

―中村さんは今も横浜にいらっしゃるんですか
中村「そうなんですが、『ヨコハマメリー』の監督は横浜にいなくてはいけないというプレッシャーがあってちょっと重荷(笑)。次回作も横浜が題材ですが、横浜とはべったりではなく、ある程度距離を持って客観的な視点で見ていきたいなと思っています」

*   *   *
 中村監督は、メリーさんが入所した老人ホームでひと夏ボランティアをしたという。そんな監督だからこそ、メリーさんを初め、周囲の人々の心まで撮ることができたのだろう。

 『ヨコハマメリー』に共鳴するあまり、取材を忘れ、一介の女として熱弁してしまった記者。それを寛容に受け止めてくれた監督らに感謝するとともに、彼らの人間性に溢れた作品であることを新たに認識した。

*1=メリーさんを親身に支援していた横浜のシャンソン歌手で、作品のキーパーソン。撮影中に癌が発覚し、公開を待たずして急逝した。彼がメリーさんの前で歌った『マイウェイ』ほど心に響く同曲はない

あらすじ

 歌舞伎役者のような白塗りに、貴族のようなドレスで横浜の街角に立つ老婆。人々は彼女を ”ハマのメリーさん“と呼んだ。かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた気品ある立ち振る舞いは、50年もの間、横浜の街の風景であった。1995年冬、メリーさんが姿を消した。膨らんでいく噂話。いつのまにかメリーさんは都市伝説となった。全国ロードショー中。

■ヨコハマメリー公式サイト
http://www.yokohamamary.com


なかむら・たかゆき
 75年横浜生まれ。97年より松竹大船撮影所で撮影助手などを経て、前田陽一監督やオリジナルビデオなどのドラマ作品に携わる。99年北京電影学院に留学、映画演出、ドキュメンタリー理論を学ぶ。帰国後、在日中国人監督である李纓に師事し、氏のドキュメンタリー映画『味』に助監督として参加。本作は監督デビュー作。

「横浜がもっと好きになった」と語る
中村高寛監督

 

お笑いから映画監督へ。キャリアを生かして大成功の初長編!
『隼(はやぶさ)』
市井昌秀さん(監督)/今野早苗さん(制作)

 おもしろい。とにかくおもしろい。監督の「挫折続きのダメダメ20代」を反映させて作ったという『隼』は、ステレオタイプに誇張した極貧夫婦といい、演出といい、配役といい、音楽の趣味といい、自主制作の枠を超えた完成度。お笑い出身という監督だが、「お笑い辞めて良かったね」と言いたい快作である。

―本当におもしろかったです。エンディングもいい曲ですね
市井・今野「嬉しいです。曲はオリジナルなんですよ」

―監督はお笑いをやってらしたとか
市井「3人で『髭男爵』というコンビを。今も二人は頑張っていて、たまにテレビにも出ています。今度彼らのライブで使用する映像を僕が作ることになっているんです」

―上映で、英題(Dog Days Dream)が原題と全く違うという質問がありましたね
市井「猛禽類は一度つがいになったら二度と離れないんです。それを夫婦のイメージとして付けたタイトルなのですが、(直訳の)Falconだとあまりにもイメージが伝わらない。歯磨きシーンが多いことになぞらえて、最初はToothbrushingにしようという案もあったのですが」

―エンドロールに市井名がいくつも出てきましたが、ご家族が協力なさっているんですか
市井「はい。制作費を借りたり、アメリカに住んでいる弟が英語字幕を担当してくれたり、母にはシミーズを借りたり・・・」*注 シミーズは劇中、重要なアイテムだった

―あのシミーズ、お母さんの私物なんですか(笑)
市井「そうなんです。サイズもぴったりで」
今野「借りれるものは全部借りて。私の弟妹も、焼肉屋の客として出ています(笑)」

―撮影秘話があれば
市井「呪われているんじゃないかというくらい、悪天候やアクシデントに見舞われました(笑)」
今野「今日の上映でも、プロジェクターが壊れたんです!それで20分遅れちゃって。お客さんが帰ってしまうのではと心配したんですけど、待っていてくれた。上映後に謝って歩いていたら、『気にしなくていいよ』って皆さん優しくて。カナダの人は心が広いですね」
市井「撮影のワンカット目が冒頭の軽トラが暴走するシーンだったんですが、主人公の彼は免許が無かったんです。でもこの役には絶対免許が必要だからと、急遽取ってもらい、免許取得後初の運転があのシーン。目一杯アクセルを踏むよう指示していたんですが、ハンドルがきかなくなって・・・」

 
 女優でもある今野早苗さん


―じゃあ、ドリフトしながら止まったあの臨場感はホンモノ
市井「はい。危うくスタッフを轢き殺してしまうところでした(笑)。本当に危険で、ワンカット目にして中止になると思いましたね。ラストカットでは撮影時間をオーバーしてしまい、警察に夜間進入禁止違反の切符を車4台分切られたり。そんな風にいろんなことがあり、徹夜続きで辛かったので、クランクアップはとにかく嬉しかった。号泣するやつもいたし、すべてを忘れるくらい、楽しく酒を飲みました」

―劇中夫婦が寝ていた非常に派手で日本的な煎餅布団も、シミーズと同様に象徴的でした。あんなすごい布団、よく見つけましたね
市井「あれ、僕が普通に使っていたものなんです・・・」

―監督の私物でしたか!すみません(笑)

*   *   *
 ダメ夫の主人公が、必死になってエアコンを家に持ち帰るシーン。それに続くパンキーなエンディング『隼』。その歌詞中の「よくある言葉だけれど、お前じゃなきゃダメなんだ」という一節にグッときた記者であった。

あらすじ
 ミノルはちり紙交換、妻のサトコは焼肉屋のパート。絵に描いたようなダメ夫を母性で支えてきたサトコが、ついにサジを投げた。歯磨きさえ妻任せだったミノルは、荒んでゆく家の中で誓う。「絶対お前にエアコン買ってやるからな」。昭和っぽさが漂う極貧夫婦の日常を、シュールに描いた娯楽作品。最後はホロリとさせられる。


いちい・まさひで
‘76年富山県生まれ。関西学院在学中からトリオでお笑いを目指すが挫折。劇団・東京乾電池の研究生を経て、映画製作を学ぶためENBUゼミナールに入学。『隼』は‘04年同ゼミナール卒業後の第1作目であり、初の長編作品。

市井昌秀監督

 

人の弱さと心の機微を、ありがちな日本的生活でコミカルに表現
『東京失格』
井川広太郎さん(監督)/福島拓哉さん(主演) 岩崎高広さん(主演)/関口純さん(音楽)



映画『東京失格』より

 井川監督が「酒と煙草、それだけの映画です」と舞台挨拶でコメントしたように、劇中の大半で酒と煙草のシーンが続く。満開の桜の下で飲み、居酒屋で飲み、忘れたくて飲み、徹夜で飲み倒す。煙草に火を点け、現実と対峙する。建設的意味などない酒席の会話、ベタな銭湯、飲んだ後のラーメン。どれをとってもリアルな日本がそこにあった。ドラマチックじゃないから、胸を掴まれた。痛みが潜む人生と、故郷の猥雑さを想う。

―カメラマンとしての印象が強い井川さんですが
井川「白川監督に『撮影をやって欲しい』と言われ、そのまま世の中に出たのでカメラマンとして印象付いていましたが、学生時代から自主製作をやっていたので、むしろ僕にとっては元に戻ったという気持ちです」

―『マチコのかたち』のゴージャスな映像とは大きく印象が違いました
井川「『眠る右手を』や『マチコ〜』のような作品は大好きですが、そこでは出来なかった部分、生身の二人(主人公)を表現したかったんです」

―『東京失格』はプライベート的な映像ですが、あれはシナリオが存在するんですか
井川「内容的には自分のパーソナルな部分を表現していますが、台詞は決まっています。映像を決めてそこに当てはめるのではなく、まず役者に現場で自然な演技をしてもらって、それを撮るという方法をとりました。カメラマンとしてのキャリアから出た発想だと思います」

―劇中には日本的なものがたくさん散らばっていて、海外に居るだけに、すごく感じるものがありました
井川「昨日の上映に来てくれたお客さんの感想にも、『東京を思い出した』というのが多か
ったですね。匂いとか雰囲気とか日々の感情とか、そういった部分をすごく思い出したと。海外上映を意識しているので、シメシメという感じです(笑)」

―撮影期間はどれくらいかかりましたか
井川「正味1週間ですが、桜のシーンだけは先に撮ったんです。まだ脚本が完成していないときに。本編は8月に撮影しました」

―昨日の舞台では皆さん、英語で上手に挨拶されていましたね
福島「でももうネタが無くて、今日はどうしようかと(笑)。海外へ行くときは、必ず現地の言葉で挨拶くらいは覚えるようにしています。それだけでお客さんの反応は違うから。他の国なら単語だけでも笑いが取れるけど、バンクーバーは英語だからそうはいかない。今日、どうしようか?」
井川「何か仕込みますか」


 
「タックン」役の福島拓哉さんは、監督・文筆家・
ミュージシャンとしても活躍する多才なクリエーターで、P-kraft代表


―昨日はウケてましたね(笑)
福島「昨日は4人キャラが別れてうまくいったんだよね」
井川「超ベタにしたらどうかな。イタダキマースとか」
関口「アイム・ノット・ゲイシャとか」

―さすがクリエーター集団(笑)。挨拶1つにも気合が違いますね
福島「舞台に上がったら、笑いとってナンボですから」
井川「食前酒みたいなもんです」

―今後のご予定は
井川「いろんな国で上映してお客さんの反応を見たいですね。このみんなと一緒に」

―(群れて行動するという)映画のストーリーとかぶってますね
岩崎「やってることは一緒。酒飲んで、行くとこまで行って」

一同「行っちゃうよね(笑)」

*   *   *
 舞台挨拶も元気いっぱい、取材中もパワフルなエネルギーを放ち、楽しさを伝染していった『東京失格』の製作ブレーン。彼らの作る映像をもっと見たいと思った。



あらすじ
 売れないバンドマンのタックン、サラリーマンのたかちゃんは10年来の仲。30代になってもみんなで集まっては酒を飲み交わしていた。ある日、仲間の訃報が届く。葬式帰り、タックンとたかちゃんは、昼間からありったけの友人とともに飲み騒いだ。2人は酒を飲み続け、ただただ感情の整理がつかないまま、東京をさまよい続けた。


 
右から、関口さん、井川監督、福島さん、岩崎さん、
製作の山田麻李安さん(舞台挨拶前、劇場入り口で)

 

いかわ・こうたろう
 76年神奈川県出身。仏文学者野崎歓氏の下で映画理論を学んだ後、自主製作作品を手掛ける。インディーズでも数々の上映やイベントに携わり、白川幸司監督作品の『眠る右手を』(03年)、『マチコのかたち』(04年)、『SPICA』(06年)では撮影監督としても才能を発揮。その映像美は国際的に評価が高い。映像制作ユニットP-kraft所属。

井川広太郎監督は今年30歳になったばかりの
若手ホープ