SPECIAL 2005

2005年11月17日 第47号 掲載



ゴードン門田氏に聞く 日系社会のリーダーの1人として歩んだ道のり



日系センターの鍬入れ式(1999年)

   2005年秋の叙勲で、バンクーバー在住の門田亮(ゴードン門田)氏が旭日小綬章に選ばれた。過去には全カナダ日系人協会(NAJC)初代会長、グレーターバンクーバー日系市民協会(JCCA)会長、日系移民百年祭BC執行委員長、日系ヘリテージセンター協会理事長を務めた他、現在は、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンターの理事として活躍している。長年にわたり在留邦人および日系人の福祉向上のため貢献してきた門田氏にお話を伺った。


このたびは旭日小綬章おめでとうございます。
 門田さんは、ナショナル日系博物館・ヘリテージセンター開館に際して、企画から開館時の日系ヘリテージセンター協会理事長、そして現在も理事を務めていらっしゃって、日系社会の中心人物の一人という認識がありますが、経歴を確認させてください。門田さんはカナダ生まれですよね。

 はい、1933年に日系二世としてニューウエストミンスターで生まれました。小学校一年生を終えた時に、兄や母とともに祖父母に会いに日本を訪問。太平洋戦争が勃発して、カナダに帰国できなくなりました。

ではお父様はカナダに?
 はい。家族離れ離れでしばらく過ごすことになりました。昭和17年と18年に日米合意で千人ずつの抑留者を帰国させる「抑留者交換船」なるものがありましたが、父は、18年の交換船で日本に帰って来ました。交換船は開戦前に自分の国に戻れなかった人を文字通り「交換する」もので、日本にはアメリカの、アメリカやカナダには日本の外交官や家族など民間人が残っていました。そういう人たちが千名ずつ乗りました。カナダから交換船に乗った人は数少なかったのですが、父はその一人でした。家族が分かれてしまうのはよくないという人道的な理由で、希望するなら帰ってもいいと言われたそうです。

戦時中から戦後しばらくは日本ですね。
 神戸で暮らしていましたが、戦火が激しくなってきたので、鳥取に疎開。終戦は鳥取で迎えました。それから神戸に戻り、関西学院の中・高等部を卒業してからカナダに来ました。

 カナダ帰国後、ブリティッシュ・コロンビア大学に学び通訳業等を経て、キャナウェイコンサルタンツを設立。大橋巨泉氏のパートナーとして経営に関わるOKギフトショップは現在カナダ、オーストラリア、ニュージーランドで7店舗を数える。

 カナダでは若い頃から日系社会で活躍されてきました。今回の受章は、長年にわたり在留邦人および日系人の福祉向上のため貢献してきた功労を評価したものとなっています。経歴として、全カナダ日系人協会(NAJC)初代会長、グレーターバンクーバー日系市民協会(JCCA)会長、日系移民百年祭BC執行委員長、日系ヘリテージセンター協会理事長などがあります。

 グレーターバンクーバー日系市民協会(JCCA)は日系人の代表団体であって、50年以上前に設立され、戦後からずっと活動していました。また、全国本部はトロントで、各州に支部がありました。しかし、六〇年から七〇年代にかけて、三世の時代になってくると存在が希薄になってきました。そんな中で、開催されたのが、1977年の日系移民百年祭です。

 百年祭では、各州に支部を設けて全国組織を構成し、一年間の長丁場にわたる幾多のイベントを成功させるために、お互いが連絡を取り合う必要がありました。しかし、これによって全カナダの日系の横のつながりが生まれたことは大きな成果でした。

 また、苦労して成し遂げたことで、満足感、そして、日系人としてのプライドを持つことができました。様々な意味で、日系人がカナダに貢献しているという「目覚め」にもなったわけです。周囲のコミュニティも日系社会を再認識してくれることになりました。

 そして一年間が終わるころに、戦争中、私たちは不当な扱いを受けた。カナダ政府に謝罪してもらいたいという意識がでてきました。そのために全カナダ日系市民協会を再編成。全カナダ日系人協会(NAJC)が誕生しました。

 このNAJCの初代会長となり、補償運動に参加することを促すべくカナダ全土で日系団体と名がついているところには全て声をかけたところ、全部で17ヵ所ありました。カナダは広いですから、まとめるのが大変でしたね。運動は、日系人の声を一つにしてNAJCをとおしてカナダ政府に謝罪と補償を要求することでしたので、意見をまとめるのが大変でした。

苦労も多かったでしょうね。
 日系社会をまとめるのが一番大変だったかもしれません。強制移動させられたという劣等感にも似た想いや罪悪感のようなものが、当時の多くの日系人にありました。先ほどお話したように、三世の時代になっていて、強制移動された世代の中にはそのような辛い経験を、三世には知らせたくないという人も多かったです。

 しかし、政府に正式謝罪してもらうことで、敵国人扱いされた汚名は拭われ、日系人はカナダの社会に貢献していると確認できる。それは、新しい世代に対する義務でもあると説得してまわりました。補償運動に関して日系人社会がまとまって活動するのに2〜3年かかりました。

 それから、メディアをはじめ、政府への陳情活動など、様々な働きかけを続け、一九八八年にカナダ政府による正式謝罪、補償が実現しました。私はNAJC会長職を既に退任していて、アート三木会長の時代のことです。

最近の実績としては、ナショナル日系博物館、ヘリテージセンター設立、「NHKのど自慢」のバンクーバー開催などがあります。
 「のど自慢」は比較的楽でしたよ。(笑)「みんなで実行させよう」とまとまっていましたから。

 日系ヘリテージセンターは、資金集めなど大変でした。企画時に既に、シニア向けの施設も併設しようと最初から構想がありました。日系センターで行われる様々なイベントに参加できるようにするためです。即ち、日系ヘリテージセンター(文化センター)、新さくら荘(シニアホーム)、日系ホーム(ケア付き住宅)、それに日系ガーデンを合わせた日系プレースを造るのが私どもの目的でした。

 土地は日系補償基金からの助成金で一九九一年に購入していましたが、結局、新さくら荘が一九九八年、日系ヘリテージセンターが2000年、ケアつき住宅の日系ホームが2002年のオープンと、11年かかりました。

今までの様々な活動が認められての今回の叙勲ですね。受章の感想を聞かせてください。
 「叙勲」というものがあるということは知っていました。過去にカナダで受章している人もいますから。また外国人でももらえることも知っていました。でも、自分が受章するなんて思ったことはなかったので、驚きと、そして喜びですね。これまで様々な人に支えられて、色々なことをやってきましたが、周囲の皆さんのおかげです。
知らせを受けたときのご家族の反応は?

 そうですね。家族も英語中心のカナダ系と日本語系に分かれるのですが、日本系は「すごいな、おめでとう」と喜んでくれました。でも、カナダ系は『Order of Rising Sun』は良く分からないので説明付きで報告したら『Order』ということだから立派な勲章なのだなと、喜んでくれました。

 驚いたことに、私には兄が五人いるのですが、そのうちの1人が3日に電話してきました。奥さんが日本にいる家族が叙勲の記事を読んでいたら「門田でカナダとなっている。知っている人じゃないか」って。連絡してきたそうです。

今後の抱負を。
 「過去のよきを将来につなげる」と「人があって自分がある」という2つを肝に銘じています。この2つで将来に望んでいきたいと思います。身体は衰えてもメンタル面での引退は考えていません。「反省はあっても悔いはなし」で今後もがんばっていきます。

(取材 西川桂子)

●在バンクーバー日本国総領事館●
多賀敏行総領事
 「門田亮様の旭日小綬章の御受章を心からお祝い申し上げます。

 門田さんは、長年に亘り、在留邦人や日系人の福祉の向上、日本とカナダの人的交流の拡大及び日系人の地位の向上の分野において精力的に活動を行い、大きな貢献をされました。門田さんは、謙虚で誠実なお人柄もあいまって、周囲の人々からコミュニティの相談役として頼られ、尊敬されており、今も多くの事業に取り組んでおられます。今後益々の御健勝をお祈り申し上げます。」