SPECIAL 2005
2005年11月10日 第46号 掲載
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![]() アルバム探しの手がかりになった、 ケイ・カミタカハラさんの写真 |
![]() マリー・セキさんとケガン・ゴウさん。マリー・セキさんの手にあるのが実物大のアルバム。 |
現在、自主制作ドキュメンタリ−・フィルム「STOLEN MEMORIES(盗まれた思い出)」を製作中のケガン・ゴウさんに、お話を伺った。このフィルム製作のきっかけは偶然、ケガンさんの弟さんが、太平洋戦争中に日系の家族が紛失したと思われるアルバムをコミュニティーセンターのガレージセールで5ドルで購入した事から始まった5年間に及ぶ、そのアルバムの持ち主探しの経過を綴った作品だ。
◆冒険の始まり
どのような経緯でケガンさんの手元にそのアルバムが?
ケガン 「1991年に私の弟がトランペット教室からの帰り道に22nd アベニューのコミュニィティーセンターで行われていたガレージセールで偶然に見かけて5ドルで買ってきたんです。弟はジャンク好きで、何か興味のある物を見かけては、よく買ってきていたんです。私もそのアルバムを見せてもらった時に、なんて素敵な写真なんだろうと思いましたよ。写真には、持ち主宛てと思われる『To
Kay, with best wishes, Satoshi, Jan 1939』というメッセージが書かれていたんです、日本軍の真珠湾攻撃の数年前ですね。ですから1942年の日系人強制収容の際に置き去りにされた持ち物であろうと私達は推測したんです。弟は私が少しばかり日系人のコミュニティーに友人がいる事を知っていたので『持ち主を探してみたら?』と言う事になったんです」
◆神聖な宝物
5年というのはとても長いですよねぇ、日系人ではないケガンさんが諦めずに探し続けたその訳は?
ケガン 「思い出というのは掛け替えの無い神聖な宝物ですよね。私自身も祖国シンガポールを政治的な理由で10代の頃に去らなければならなかったんです。2週間で荷物をまとめなければならず、友達にも去る事を告げられずにね。荷物も小さなダンボール箱1つですよ。それでも写真や手紙などの思い出の物だけは持って行こうとしたんです。日系人の強制収容の際もスーツケース2個くらいしか持っていけなかったらしいじゃないですか、そんな所が、他人事のように全く思えなかったんです。私も時々ボロボロのダンボール箱の中の写真や手紙を見ては祖国を思い出しますしね・・・。ですからこの美しいアルバムをどうしても持ち主の元に返したいと思ったんですよ。自分の境遇と重ね合わせていたのかもしれませんね」
◆Door to door
持ち主探しの最初は何を手掛かりに始めたのですか?
ケガン 「そうですねぇ(苦笑)、日系人の友人といっても本当に数人でしたから本当にどこから手を付けていいのか、ねぇ?手掛かりといえば『To Kay,
with best wishes, Satoshi, Jan 1939』という写真に残されたメッセージだけでしたからね。
最初に相談したのは日系女流作家ジョイ・コガワさんです。幸いな事に私の両親が彼女と知り合いだったんですよ。彼女にはJCCA(日系カナダ人市民協会)で開かれる日系人の集会に行き参加者の方々に尋ねてみてはと、薦められました。しかしねぇ・・・。私は日本人でもないし日系でもありませんから、そのコミュニティーに単独で持ち主探しのアピールをしても耳を貸してくれる人は少なかったんです。ですから『Door
to door』で日系人宅を訪れてはアルバムを見せ話を聞いてもらったんです。そんな時にマリー・セキさんという女性に出会い彼女がその後、私の手助けをしてくれるようになったんです。彼女は保険代理店で働いていた事があるので日系人宅を探す際は本当に助けてもらいましたよ。我々は本当にいいチームでしたよ」
◆迷路の中で・・・
『Door to door』ですかぁ・・・。その他の日系団体の援助はなかったのですか?
ケガン 「シンプルですがこの方法が私に出来る唯一の方法でしたからねぇ。バンクーバー仏教会のフジカワ氏を訪ね、そこでポスターなどを貼らせてもらったんです。そこで写真の中の人が『Marry
Ennyu』という名前かもしれないという有力な情報提供がありました。数ヵ月間、この名前の主を探しましたところ、トロントに住んでいる可能性があるという情報までは得ましたが、それ以上の事はわからなかったんです。もし私が『アウトサイダー』でなければ、事はもう少し順調に進んだかもしれませんね。まるで迷路の中にいるようでしたよ。新しい道を見つけては行き止まり、またスタートに戻りやり直しといった感じでね。丁度この頃、体調を崩して入院もしてしまいました。平行して日系のメディアにも写真の掲載依頼もしましたよ。そんな時、日系の歴史家ミチ・アユカワさんに出会い、『Marry
Ennyu』の名を告げたところアユカワさんが彼女は郵便局で働いていて、その家族はトロントに住み、日系リドレス運動で活躍したロイ・ミキ氏と交流があったとの事でした。私はロイ・ミキ氏に早速電話で『Marry
Ennyu』について尋ねましたが、彼女は既にトロントを離れたとの事でした。ドイツ人のKorb氏と結婚してRon Korbさんという息子さんをもうけたそうです。幸いな事にRon
Korbさんはトロントで有名なミュージシャンでロイ・ミキ氏も彼の連絡先を知っていたので彼の留守番電話にメッセージを残しアルバムを手渡したい旨を伝えたんです。直ぐに彼から連絡があり、おそらくそのアルバムは彼の叔母の『Kay』さんの物だというのです。私はとても嬉しかったですよ。しかし彼女は既に他界していましたが、その家族がアルバムに大変興味を持っていて是非見たいとの事なので、家族に連絡をとりました。
◆冒険の終着地
長い道のりでしたねぇ。いよいよご対面というところですね。
ケガン 「まるで探偵をしているようでしたよ、ドン・キホーテとサンチョ・パンサともいえるかな(笑)今だから笑えますがね。
ところでその家族の名前は『カミタカハラ』。写真の女性は『ケイ・カミタカハラ』。彼女の義理の娘さんにあたるシャレン・カミタカハラさんから連絡をいただきチャイナタウンのレストランで会見し、とうとうアルバムを手渡す事が出来ました。(笑)これまでの人生で一番幸せな瞬間でしたね。それから、マリー・セキさんの助け無しではこの冒険は完成を見なかったと思います。彼女は本当に私を支えてくれましたからね」
◆新たな冒険
現在そのドキュメンタリー・フィルムの製作中との事ですが、いつ頃完成の予定でしょうか?
ケガン 「来年の夏くらいまでには、完成させたいですね。テレビで放映させてもらえれば嬉しいと思っています。先程も述べましたが、このフィルムを製作している間に9回の入院をしてるんですよ(笑)。製作費も殆どが自分持ちなので、できればこのフィルムを完成させる為のスポンサーがいればと思うのですが、なかなかねぇ(苦笑)。おおまかな作業は終えていますが、あとは細かい編集作業を残すのみなのですけど」
これだけ長い期間をアルバムの持ち主探しとフィルム製作に費やしてきたケガンさんだが終始笑顔でこの取材に対応してくれた。その心の広さと行動力には記者も感動を覚えた。
アルバムを返還した後、ケガンさんはトロントへ飛ぶ機会に恵まれた。そこでRon Korbさんと会見し、彼の作品をプレゼントされた。彼の音楽はケガンさんの映像のBGMとして挿入される予定だ。 「私の作品は、プロの手による洗練された映像ではないかもしれない、しかし作品の中で最も重要なものは物語であると私は信じています。多くのボランティアや私の友人の手で創られたこの作品をみなさんに観てもらえる日を夢見てもう少し頑張ります(笑)」とケガンさんは微笑んだ。記者も完成されたケガンさんの作品を観る事ができる日が楽しみだ。
(取材 越智直行)
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●プロフィール●
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| ケガン・ゴウ(Kagan Goh) シンガポール生まれ フィルム製作の傍ら小説も発表している バンクーバー在住 1986年 リーソン大学 映像学科卒 2003年 小説「Strike the work」を発表 |
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