SPECIAL 2005

2005年10月27日 第44号 掲載



ベストセラーの著書がオペラ『ナオミの道』となった
〜 日系女流作家 ジョイ・コガワさん〜


コガワさんと孫娘のアンちゃん(7)。アンちゃんも本が大好き。ミドルネームもコガワさんと同じ“ノゾミ”だ。オペラ『ナオミの道』は、「大好き」とのこと。

『Naomi's Road』
(86年)

 OBASAN
『OBASAN』(81年)

 失われた祖国
『OBASAN』の日本語訳版(98年)

  今月1日、日系カナダ人の辛酸の歴史を描いたファミリー向けオペラ『ナオミの道』が、バンクーバーオペラにより一般公開された。その原作となったのは、ジョイ・コガワさんの『ナオミの道』と『失われた祖国』で、共にコガワさん自身が体験した第二次世界大戦中の強制収容所生活を元に書かれた自伝的物語だ。主人公の少女・ナオミの視点はコガワさんの視点でもある。国を相手取った日系カナダ人への補償問題にも大きく貢献したコガワさんに、お話を伺った。

― 今―戦争が始まったときはお幾つでしたか?
コガワ「6歳の時よ。よく覚えているわ」

―当時、日系人に対する対応はどのようでしたか?
コガワ「日本人は卑下されていたわ。差別は戦争が始まってさらに悪くなって。周りの子供にはいい子もいたけれど…。でも、両親が世間から守っていてくれていたので、実際にはもっと酷かったのかもしれない」

―真珠湾攻撃後、収容所に強制移動させられた・・・
コガワ「私たちは4ヵ月後だったけれど、他の人たちはもっと早くに移送されたわ」

―オペラ『ナオミの道』では、親は子供たちには事実を告げず「旅行へ行く」と言いますが
コガワ「ええ。大人は子供たちを気遣い、本当のことはけして言わなかったの。私も収容所暮らしが始まるとは微塵にも思わず、ただいつもと違う状況にワクワクしていた。両親がしっかり守ってくれていたので、何も不安には思わなかったわね」

 コガワさんの父・中山吾一氏は愛媛から 歳で移民、牧師となった。戦後の日本を慰問してカナダ友好協会の発足に貢献した人物で、著書も多数ある。コガワさんは、その父と母と4歳半上の兄・ティモシーさんの4人で収容所行きの列車に乗った。所持品は1人スーツケース2つまでというように規制され、家などの財産を含めた個人所有物はほとんど置いていかなければならなかった。その後、日系人が置いていった所有物は、政府によって売却されてしまう。

―コガワさんは何を持っていきましたか?
コガワ「本を何冊か。二宮金次郎とか百科事典とかね。私は本が好きだったし、収容所では図書館も学校も無かったから、持って行った本を読んでいました」

―どちらの収容所へ送致されたのですか?
コガワ「ナオミと同じスローキャンへ。水も電気も無かった。そこに3年いました」

 バンクーバーでは小学校1年生だったコガワさんが2年生になることはついに無かった。1年以上経ち、やっと収容所でも学校が始まったが、差別も多く、また、コガワさんは4年生になったものの、学力不足で落第寸前だったという。

―スローキャンで3年過ごした後は?
コガワ「アルバータ南部に移送させられて。あそこはもう、スローキャンとは比較にならないほど劣悪な環境だった。皆、鶏小屋や豚小屋、穀物納屋に住まわされ、子供たちも働いた。知人には、5人の子供たちを含む 人の親戚縁者が冬中1つの鶏小屋に押し込められていた家族もいたわ。当時の大人たちは明治の人間だから、文句も言わず、大変我慢強かったのね。でも辛かったはず。自分たちが築き上げたものすべてを失ったんだから」

 “ Dispersal Policy”という政策が敷かれ、コミュニティーも離散させられた。「その影響は、アメリカには日本人街があるがカナダには皆無など、今も残る」と、コガワさんは語る。リドレス運動(国への補償請求運動)が強く行われたアメリカに対し、カナダには先導するリーダーがいなかったために立ち遅れたことも一因する。

―強制移送前の住まいは?
コガワ「私が生まれ育ったマーポール(オーク橋付近)の自宅は、奇跡的に無事だった。(日系の)周りの家々は破壊されたのに。今は台湾人女性の持ち物で、取壊しの計画もあったけど、残すべきだと住民が反対して、今も健在です。その我が家だった家を含めた3軒が、歴史文化遺産として保存を検討されているところなのよ。生家の裏庭には桜の木があってね。それを市役所へ移植しようという案が評決されたり、いろんな動きがある」

 今、コガワさんは友好をテーマにした新しい小説を手掛けている。タイトルは『A Tree Story』。日本の国花でもある桜の木を友好のシンボルとして用いている。友好の印として日本から海外に植樹されることも多い桜は、世界中にその根を張っており、ここカナダも例外ではない。そして、コガワさんの生家の桜の移植案。偶然とは思えない。「一番大切なのは友好であること」。コガワさんは強く言う。

コガワ「現在、日中間で様々な問題が起こっているわ。今こそ日系カナダ人は立ち上がって、日本が謝罪するよう働きかけるべきだと思うの。罪を犯した国の一員として懺悔の意識を持つべきだと。誰も完璧な人間はいないし、皆罪は犯す。そういったことを我々はもっと受け入れなくては。罪から逃げなければ、互いを知り、理解し、もっと自由になれる。真実を恐れてはいけない。カナダ政府が日系人に行った事実を認めたのは勇気あることよ。日本もそうすべき。子供たちも真実を知るべきだし、皆、第二次世界大戦がどんなに醜くおぞましいものだったかを知らなければ。ドイツがユダヤ人に行った行為を認め、公にしたように、日本もアジア諸国への愚行を公言しないといけないのよ。そうするまでは友好関係なんて結べない。」

 『A Tree Story』――創造の主が「友好」の世界を創った。しかし人々が「希望の光」を食べてしまったために、その世界は長くは続かなかった。「希望の光」は愛と真実でできている。どちらか一方だけを食べてしまったら、光は輝きを失ってしまうのだ。「希望の光」を食べることを止めない彼らは、やがて野獣のように共食いを始め、世界は荒れていく・・・。そんな中、桜の木だけは違った。そして「友好」は創造主により桜の木に備え付けられ、私たちの平和のために世界中へ渡っていった―

コガワ「この話を書こうと思ったのは、人間の欲によって世界中が大きな問題を抱えているからなの。このままでは世界は壊滅してしまうわ」

 スローキャンからアルバータ南部に送られたコガワさん一家は、戦争が終わってもそのままバンクーバーへ戻ることは無かった。そして他の日系人

同様、バンクーバーへ置いてきた所持品のほとんどは失った。コガワさんは教師などの職を経て、アルバータ南部で出会った日系人男性と結婚。その後サスカチュワンやオタワなど、カナダ南部や東部で過ごす。現在は、長女一家が住むサレーを中心に、トロントとバンクーバーにある自宅を移動する日々を送るコガワさん。執筆はいつするのかという問いに「孫の眠っている早朝に(笑)」と穏やかな祖母の顔になったのが印象的だった。

(取材/藍智子、協力/ゲン・カタギリ)

●プロフィール●
 Joy Nozomi Kogawa (ジョイ・ノゾミ・コガワ)
35年バンクーバー生まれ。教師、トルドー元カナダ首相秘書などを経て作家となる。著書には『失われた祖国』(原題:OBASAN)、小学生向けの『 ナオミの道 』(原題:Naomi’s Road)、『 The Rain Ascends 』などがあり、国内外の文学賞各種を数多く受賞。また、SFU、UBCなど7大学で名誉博士号を授与され、86年にはカナダ最高勲位を受勲している他、近年バンクーバー市で“ジョイ・コガワ・デー”(11月6日)が制定された。
※オペラ『ナオミの道』のレビューは、パート2の
 V-9頁参照

人間の強欲による世界の荒廃を危惧するコガワさんの口調は厳しい。その思いは新作に託されている