SPECIAL 2005
2005年9月22日 第39号 掲載
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世界的パントマイマーのYAYOIさんが、自身の3年に及ぶ乳がんとの闘いを乗り越えた節目に、10月25・26日の両日、感謝の気持ちを携えたチャリティー公演を行う。全収益金は、BCがん基金及びバンクーバー総合病院・ブリティッシュコロンビア大学病院の教育機関設立基金へ寄付される。そのイベントを前に、YAYOIさんが壮絶な体験を赤裸々に語ってくれた。
がん発見から闘病、公演までの道のり
―この企画の発端は
YAYOI 「思いついたのは去年の暮れぐらいですね。3年間の闘病生活はとても大変だったのですが、これが日本だったらどうだったのかと。 では費用のほぼ全額が健康保険でカバーされ、入院も3日で済みますが、日本では1ヵ月近い入院の上、手術と合わせて百万円くらいかかる」
―そんなに日本とカナダでは違う・・・
YAYOI 「薬にもよるのでしょうが、先日日本の番組で、まだ認可されていない抗がん剤治療に年間1千万円もかかったという話も見ました」
―日本ではお金が無いと、治療さえ受けられない感じですね
YAYOI 「がんということ自体がストレスなのに、お金の問題もある。体力的にも辛くて仕事なんてできないですよ、抗がん剤治療の期間は」
YAYOIさんは、02年の6月に渡加、9月の結婚を折に定住することに。乳がんが発見されたのは、その直後の12月。祖母も父も叔父もがんで亡くなっている。だから「がん保険にも入り、日頃から気をつけていた」というが、その衝撃は計り知れない。以前から胸のしこりは気になっていたものの、前にも似たようなしこりを発見し、診てもらったら「年齢的なもので心配ない」との診断だったため、同じように考えていた。
YAYOI 「初めは病巣部とリンパ腺を除去する手術(乳房温存手術)を受けました。抗がん剤などの化学療法も勧められたのですが、断り、自然療法などをやっていました。でも
年後に再発。検査したら(腫瘍が) センチほどに成長していて。針生検3週間後には11センチにまでなってしまった」
―そんなにあっという間に!
YAYOI 「初めて発症した時はそうでもない。再発した時が広がるのが早い気がします。もう手術もできないと言われて、抗がん剤治療を始めました。最初の治療で、
センチが7センチに縮小。人によるようですが、私にはよく効いた」
―具体的に抗がん剤治療はどのように行われるのですか
YAYOI 「3週間に1回、病院に行って点滴で抗がん剤を投薬。私の場合、1時間くらいでした。終わった瞬間にぐったりします。白血球がものすごく減るので。だから半年にわたって8回受ける予定を、あまり辛いので7回で勘弁してもらいました。知人は
分の点滴で4回だったというので、人によって違うようです」
―髪の毛が抜けるとよく聞きますが・・・
YAYOI 「全部抜けました。初めはいつもより抜けるな、という程度でしたが、そのうちバサバサと。どうせならと、全部剃って頭にペイントして、友人主催のファッションショーに出ました(笑)。髪の毛だけじゃなく、眉毛もまつ毛も体毛もすべて抜ける」
―他にはどのような変化がありましたか
YAYOI 「最初の抗がん剤は吐き気がするものでしたが、次の薬は節々がものすごく痛くて。未だに足の指が痺れていて治らない」
―やはり悪い細胞を殺すから副作用も強い・・・
YAYOI 「抗がん剤というのは、1番早く成長する細胞に効くんです。1番早く成長するのはがん細胞だから」
抗がん剤の副作用は、爪にも影響する。YAYOI さんの真っ黒に変色した爪を見た知人が「変わったマニキュアね」と言ったほど。その黒い爪が、治療を終えたその時から、境界線を引いたように白い爪に変わってゆく。髪も元通りになったが、髪質は変わったという。ウェーブの強い髪になった。以来、ずっとショートにしている。
―痛みなどはありましたか
YAYOI 「03年の12月くらいから、がんが痛み始めたんです。チクチクとしたなんとも気持ちの悪い痛みで。乳首なんてもぎ取られそうに痛かった。抗がん剤や放射線の治療で一旦消えましたが、2度目の手術前にはまた同じ痛みが出てきた。術後は消えましたけど」
―闘病期間も活動を続けていたのですか
YAYOI 「抗がん剤治療を受けていた間も、取材・執筆の仕事をしたり、エクササイズをしたり、舞台もしていました」
―どこからそのような気力が生まれてくるのでしょう
YAYOI 「ずっとそうやって生きてきているから、むしろやらない方がストレス。できない自分というのが悲しいし。抗がん剤投与後1週間から10日はすごく辛いけど、後はまあまあ動けます。疲れやすいですけど。そうして次の投与までの期間、活動する」
自宅のリビングにはあつらえたように壁面が鏡になっているが、「たまたま初めから付いていた」とか。アパートの集会所は板張りで、これまたマイムの練習にもってこい。YAYOI
さんが、この3年の闘病生活中もマイムパフォーマンスの活動を止むことが無かったのは、「マイムをしたい」と思わずにはいられない、こんな環境も手伝っているのかもしれない。
YAYOI さんが自作の面被って見せてくれた。瞬時に違う人格が現れ、マイムの世界に入っていった。
YAYOI 「抗がん剤治療が終わったら、今度は放射線治療。嫌だったけど説得されて(笑)。こちらは治療時間も短く、多少疲れやすかったくらいで抗がん剤ほど負担ではなかった。16回ほど通いましたが、結局は無くならなくて。
センチほどまで小さくはなりました。それで乳房切除術を受けた方がいいと担当医に言われ、怖かったのですが、同時再建もすることになりました」
―抗がん剤などで、病巣部が小さくなったから、2度目の手術が可能になったわけですね
YAYOI 「そうですね。あのまま手術を受けたら逆に危険だった」
乳がんの手術には病状によっていろいろな手法がとられるが、部分切除や全摘出の場合、切除と同時に、元の乳房を復元する再建手術を選択できる。後から受けることも可能であり、乳頭の復元もできる。患者自身の体の一部を使用するものと、豊胸手術のように人工物を使うものがある。
YAYOI 「手術は乳房同時再建手術だったので、6時間かかりました。でも日本では8時間以上かかるのだそうです」
―再建には体の一部を移植したのですか
YAYOI 「下腹部からです。40センチ切りました」
―下腹部の脂肪を利用するわけですね
YAYOI 「それが、脂肪が無くて(笑)」
―お仕事柄、体に余分な脂肪が無い(笑)
YAYOI 「だから、術後は胸よりもお腹の傷が痛くて。脂肪が多いとあまり痛くないそうですよ。実はこの手術、担当医のクラグストン先生が手術の10日前に具合が悪くなり、アシスタントの先生が急遽執刀してくださったんです。それが最近、クラグストン先生が亡くなったことを知りまして。」
その担当医とオフィスを共有していた別の医師より手紙が着た。「乳房切除術の専門医の絶対数が足りないので、UBCに専門医の養成部門を設立したい。基金協力をお願いできないか」という内容だった。実際、YAYOI
さんも「来年の2月まで予約が取れない」と言われたほど、人材が不足している。ちょうどチャリティー公演を企画していた時である。
YAYOI 「私はBC州がん研究所(BC Cancer Agency)でずっと治療を受けていたので、関連機関のBCがん基金へ寄付しようと考えていたところに、UBCへの基金のお話があった。それで半分ずつ寄付させていただこうと」
がん治療に必要な医療費のほぼすべてが健康保険で賄え、金銭的なストレスを感じないで治療に専念できる、BC州の制度への感謝の気持ち。同じように乳がんと闘う女性たちに、充分な治療を早く受けてもらえたらというエールの気持ち。そして、命への感謝と喜び。これらの気持ちを胸に、10月、YAYOI
さんは舞台に立つ。
(取材 藍智子)
| ●セレブレーション・オブ・ライフ『四季』● |
| 〜セレブレーション・オブ・ライフ『四季』〜 ■主催:YAYOI THEATRE MOVEMENT ■日時:10月25日(火)・26日(水)、19:30開場20:00開演 ■場所:The Dance Centre Faris Studio 677 Davie St. Vancouver(GranvilleとDavieの角) ■チケット:35ドル ボックスオフィス 604-257-0366 |
| 【プロフィール】 YAYOI 本名・平野弥生。兵庫県宝塚市出身。桐朋学園大学演劇科卒業と同時にマイム活動開始。89年、文化庁の在外研修員としてドイツとカナダで研修。帰国後YAYOI THEATRE MOVEMENTを設立。以降、毎年世界各地のフェスティバルに出演し続け、その活動範囲は13ヵ国28都市に及ぶ。ジャズの日野皓正など、国境とジャンルを越えた共同制作も数多く展開。95年からは能面の製作も始め、その高度なテクニックとユニークな発想、豊かな表現力で、国内外から「天才的ソリスト」と絶賛されている。 |
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