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「年を取るほど冒険したい気持ちが起こる」
日野原重明氏バンクーバー日系人合同教会で語る
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| 93歳にして現役の内科医師を続ける日野原重明氏は、終末医療の発展に貢献し、音楽療法の推進者でもある。氏の著作は200冊を超す。日野原氏は今回、UBCで開催された「生活の質(QOL)」の研修会(当地責任者UBC石山一舟準教授)のためにバンクーバーを訪れた。9月4日(日)はバンクーバー日系人合同教会で「愛と恕し(ゆるし)の自己変革」というテーマによる約1時間の説教と、その後の懇親会で自身の体験を語った。長い経験に裏打ちされた含蓄のある日野原氏の語りに、約230名の聴衆は感嘆の表情で耳を傾けた。 |

生き方が人に勇気を与え、真心が人をひきつける日野原重明氏(写真撮影:今泉慶子)
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メソジスト派のクリスチャンとして生まれて育った日野原氏。現在理事長を務める聖路加国際病院は、「アメリカ聖公会が募金を集めて設立した」と、病院の沿革に触れながら、自身の医師への道のりについてゆっくりと語り始めた。
病むことは一つの出会い
日野原氏は10歳の時に腎臓病を煩い、大好きな運動を一年間止められたが、そのとき母は宣教師夫人よりピアノを習う機会を作ってくれた。それは現在、全日本音楽療法連盟の会長として、日本の音楽療法の舵取りを行う任を負うことにつながっている。
小学校時代に母が尿毒症にかかったが、熱心な医師のもとで完治したことに感銘を受けて「父の後を継ぐよりも、あのような先生になりたい」と医師への志が芽生えた。
その後、京都大学医学部に進学。だが在学中に日野原氏は結核を患い、自分ではトイレに行けないほどで絶えず微熱のある状態が8ヵ月も続いた。日野原氏は「寝ていてできることを」と、ベッドの上でレコードの音を聴き楽譜に写し、独学で楽典や作曲の勉強を行った。
微熱が取れて庭先に出られるような回復期の様子を氏は「体の中心に何となく定かな気持ちが生じてくるような、健康に向かうあの感覚」と表現する。そして「健康感というものは、病んだ人でないと経験できない。医師として原因不明の熱で臥せっている患者に、私が体験を語りながら励ましの言葉をかけられるのも自分が病気をしたおかげである」と語る。「すべての人が病気となって死ぬということは、病というものは考えられぬほど大きなものを持っている、そうしたものに人生の最初に出会えたことには感謝せざるを得ない」。病気に向き合った経験がその後の大きな糧になっていることを氏はしみじみと語るのだった。
恕(ゆる)すことから始まる平和
今回の礼拝説教のテーマは「愛と恕しの自己変革」。聖書の教えに世界事情を交えて語った内容の要点は以下のようである。「敵の恨みを恨み返すことで現在まで戦争が繰り返されてきた。平和というものは、どちらかが先に許すことをしなければ生まれてこない。愛してくれる人を愛するのは罪人でもできること。敵をも愛する気持ちがなければならない。また報いを期待しての愛は本当の愛ではない。たとえ相手が仕打ちを向けてこようとも自分がしたいからするのが本当の愛である。愛のお返しは良い習慣かもしれないが、世の中を良くしていくためには愛を受けた感謝の気持ちを、愛を送ってくれた相手にではなく、関係のない人に向けていくことだ」。さらに「相手に変化を求めるのは至難の業だが私が変わるのは簡単である。『私が変わりますから』と言って変わることから始めよ」と語った。
日野原氏は説教の最後に「もしも私が百歳まで生き延びればまたここに来ることをお約束します」とメッセージを伝えて、会場から大きな笑いと喜びの拍手を受けた。
懇談会での質疑応答
懇談会の始めには、来月の誕生日を繰り上げて、ロウソクの点った誕生ケーキならぬ誕生饅頭で氏の 歳のバースデーを祝い、左記の質疑応答が和やかに繰り広げられた。
質問 シニア人口が増えています。年を取っても生き続ける力を持つにはどうすればよいでしょうか。
私は年を取るほど冒険したくなってくる。やりたいことはやってみないとわからない。年を取っても若くなる人は思い切ったことをやる人。やりたいことをやる、そういう勇気が大切だと思いますね。
今の私のやりたいことは「命とは何であるか」といった哲学的な命題、「命、病、死」の問題を詩にすること。体で感じられる言葉に作曲し伴奏をつけて、今度ここに来るときには披露したい。
質問 60〜80代の人たちにどんな食事を薦めますか?
60代までは高血圧にならぬよう気をつけて、30代のときの体重になるよう減量するように薦めます。
そのためなるべく階段を使っており、今でも続けて50段は登れます。
私は食事は一日一食でいい。朝昼牛乳を飲んで、20グラムのオリーブ油をジュースに入れて、大豆のレシチンの製品をスプーン2杯。このおかげで私の皮膚は子どものようで肌にしみもなくてきれいですよ。若さを保つには笑顔が大事。笑う筋肉を鍛えるには練習することですよ。
(他の質問に答えて)集中するとき、頭を使うときはカロリーがいらない。お腹が空くというのは情熱を持ってぶつける仕事がないことの証拠。私は今でも一週間に一回徹夜をします。すると明くる日はハイになる。さわやかでしょうがない。しかしノルマを受けて人から何かやらされて徹夜をしている人は疲れますね。反対に寝ようと思って寝られない人は何かを考えると良いです。
質問 1970年に「よど号」に搭乗して日本初のハイジャックに遭ったときの気分はどうだったのですか?
犯人グループに「動くな」と言われて麻縄で腕を縛られました。自分の脈を見てみると通常65から70だったのが、そのときは80を打っていました。「私は緊張しているな」と思い、他の人はどうなんだろうと思いましたが、知らない女の人の手を握る訳にもいかないというわけであきらめました。
9人の犯人たちは日本に革命を起こすと言い、なぜ革命が必要かを乗客たちに語りました。その後「質問はないか」と犯人たちが乗客に聞いたところ、誰かが手を上げて「ハイジャックというのはどういうスペリングでどういう意味か」と聞きました。犯人たちが答えられないでいたので、私が縄を解いてもらいマイクを持って「ハイジャックする人がハイジャックのことを知らないのはおかしいですね」と言いましたら、乗客が大笑いしました。その後、犯人たちが革命歌を歌うというので、乗客のなかでも知っている人が一緒に歌っていました。四日目に飛行機から降りるとき乗客は犯人たちに「がんばれよー、がんばれよー」と声をかけていました。
事件後、ハイジャックが起きたときにはテレビに呼ばれてコメントを頼まれたりしていますが、テレビ局からは「なるべくお通夜のような気持ちで話してください」と依頼されます。でも実はそうではないのです。実際は犯人と乗客の間に一体感が生まれている。犯人はダイナマイトをもっていて作戦がうまくいかなかったら爆破する。だから乗客と犯人は生死を共にした仲間という意識になっているのです。
それ以来私は「歴史は外から見たもので実際とは違っているのではないか」と思うようになりました。
病弱だっただけに長生きはできないと考えていた日野原氏がハイジャック事件に遭遇したのは59歳の時。
四日目の解放を迎えて「これからが本当の第二の人生である」と認識し、それが自分に与えられたことへの感謝の気持ちをもつと共に、その第二の人生を勇気を持ってデザインしようと決心したという。
「人生百年」の時代を迎えようとするなか、社会的に現役引退とされる60代は、まだ人生の半ばを越したに過ぎない。日野原氏は「後半の人生こそが自分で自由に生き方をデザインできる希望の人生」との考えを提唱し、75歳以上のメンバーで「新老人の会」を結成している。
90歳を越えた今なお第一線で活躍し、人々を元気づける日野原氏の情熱と行動力に大いに刺激受け、聴衆は満足の笑みを浮かべながら会場を後にした。
(取材 平野香利)
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94歳の誕生ケーキならぬ誕生饅頭 |
【日野原重明氏プロフィール】
1911年山口県生まれ。京都帝国大学医学部卒業、同大学院終了。聖路加国際病院内科医長、院長を経て、現在、聖路加国際病院理事長、同名誉院長、聖路加看護大学名誉学長、ライフプランニングセンター理事長、全日本音楽療法連盟会長
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93で現役医師を続ける日野原氏 |
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9月4日の特別礼拝においてご献金頂いた皆様へ
礼拝において捧げられた2036ドルは、主に米国ハリケーン被災者支援の為、カナダ合同教会宣教奉仕基金へ送金させていただきました。感謝と共にご報告致します。
バンクーバー日系人合同教会一同
牧師 伏井眞紀c-coc.com |
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