SPECIAL 2005

2005年6月30日 第27号 掲載



新報独占インタビュー
日経連載『愛の流刑地』が話題の大文豪、渡辺淳一氏


 日本経済新聞という堅い土壌で連載されたにもかかわらず、多くの読者の心を掴み、日本列島に物議を醸した衝撃作『失楽園』から9年が経つ。そしてまた、男女の情愛をテーマにした新たな連載『愛の流刑地(るけいち)』が話題となっている渡辺淳一氏。色褪せることなく官能的な愛の物語を生み出す渡辺氏に直撃した。

 日経紙での連載小説は、85年の『化身』、96年の『失楽園』に次ぐ3度目である。今回もまた、朝の通勤電車の中で人目をはばかりながら、その小説を読むサラリーマンの姿が多く見られるという。当地バンクーバーでも、日経紙の衛生版を購読する会社や個人も少なくなく、ファンも多い。

『愛の流刑地』は、人生の黄昏を向かえた男性と、彼によって女性として開花してゆく30代の清楚な人妻の情愛物語だ。主人公の恋愛小説家、村尾菊治は55歳。かつての勢いはなく、新作に行き詰っていた時に、彼のファンだという入江冬香と京都で出会い、恋に落ちる。3人の小さな子供を持つ冬香とは、思うようには会えない。それだけに、二人の愛は狂おしいものになってゆく・・・。

 過激な愛を貫いた『失楽園』は物語性が強かったが、『愛の流刑地』はどこか等身大で共感が持て、読者自身が自己投影できるところが人気のようだ。社会的責任を負った大人の、ファンタジーなのかもしれない。


――先生の中学時代の恩師がすばらしい国語教師だったと聞いています。その中で渡辺先生は才能を発揮、漢字の書き取りなどは常にクラスの横綱だったとか。

渡辺「そう、いい先生だった。(漢字テストは)相撲の番付になっていたね」

――ご実家も文学的な家庭だったのでしょうか。

渡辺「父は高校の数学の教師でした。母方の実家が大きな雑貨屋を営んでいて、父は養子で。圧倒的に女が強い家庭だった(笑)」

――医学部ご出身は周知の事実ですが、元々お医者様を目指していらしたのですか。

渡辺「いや、北大に入学したのですが、高校3年の時に同級生と恋愛して、彼女を通して小説や演劇、酒といった世界を垣間見てしまった。

――『阿寒に果つ』(48年)の純子さんですね。

渡辺「そう。それで、北大の教養課程では遊び歩いてばかりいた(笑)。だから成績が悪くて、学部移行の時に行くところが無くなってしまってね。そしたら『札幌医大で学生を募集している』という話を聞き、受験したんです」

――そういう経緯で外科医になられた・・・。

渡辺「整形外科です。講師を含め、10年大学病院にいました」

――その後、東京に出られたのは。

渡辺「小説家になるためです。小説は片手間ではできないから、病院は辞めた。妻子を置いて、1人で東京に行った。35歳だからできたのでしょうね」

――周りは反対なさったでしょうね。

渡辺「全員反対した。僕のお袋は泣いて反対した。『ここまで来たのにどうして。医者を辞めて何をするんだ』ってね。東京へ行って小説を書くんだって言ったら、『頼むからそんな水商売はしないで』と」

――そして1年後、直木賞を受賞して。

渡辺「直木賞のあとは、一気に書いた。月に短編数本、長編数本というように。(世間に)忘れられないようにね。作家というのは競争も激しくて、何か賞を受賞しても、その後まで残る人は少ない」

――現在連載中の『愛の流刑地』は、先生の頭の中ではすでにストーリーができあがっているのですか。

渡辺「大まかにはね。細かい部分はこれからですが。(バンクーバーでは)どこで読むの?」

―― 日系企業などが購読しています。私は駐在員の方から進行状況を聞いています(笑)。男性心理もさることながら、女性の心もよくご存知ですが。

渡辺「恋愛しないとね」

秘書「現在しっかり恋愛していないと書けないと思いますよ、こういうものは」

――なるほど(笑)。

秘書「バンクーバーの不倫状況は、日本と同じような感じですか」

――うーん(笑)。カナダ人は離婚再婚が多いですが、他民族国家なので、不倫は民族によってだいぶ差があると思います。先生は他にも連載をお持ちですよね。

渡辺「週刊新潮の『あとの祭り』と、婦人公論『男の錯覚 女の幻想』、月間プレイボーイの『鈍感力』です」

――鈍感力・・・?

渡辺「精神的にいい意味で鈍いのがすてきなんだよ、ということを言っています。過敏なのはよくないと」

――毎日入稿されるのですか。

渡辺「数日分まとめて出すこともあるけど、まあ、毎日だね。大変ですよ。1週間くらいまとめて出せるといいんですけどね」

秘書「先生は原稿用紙とペンがあれば、どこでも書ける方なんですよ」

――今でも手書きなんですか!ペンだこができませんか?

渡辺「それが無いんですよね。柔らかい鉛筆を使っていますから」

――ところで、先生はお嬢さんがいらっしゃるのですか。

渡辺「3人います」

――お嬢様方は先生の作品をお読みにはならないのですか。

渡辺「聞いたことが無いねぇ(笑)。 年も書いているから、家族ではいちいち話題にならないね」

秘書「皆さんお忙しくて、先生のことまでかまっていられないんですよ(笑)」

――先生は講演活動もたくさんやっていらっしゃいますが、テーマのひとつ『プラチナスタイル』とは、どういった意味ですか。

渡辺「熟年・壮年といった世代を、『プラチナ世代』と呼んでいるんです。シルバーよりおしゃれで前向きでしょう?金よりすてきな輝く人ということでね」

――プラチナ世代も恋愛でも輝くべきですよね(笑)。

渡辺「そうです。日本の社会はそれを抑圧していてよくない」

――先生の作品は、恋愛・歴史・医学にわかれますが、今も医学の勉強はされているのですか。

渡辺「医学ものは初期の作品ですね。専門分野に関しては、学会も行きますし、知人や対談も多いので、知識は広がりました」

――小説志望者は周囲にも多いですが、なかなか最後まで書けないものです。

渡辺「ポエムや短歌と違って小説は閃きでは書けない。もっとしたたかに、粘りがないとね。最後まで書くという体力もいります。終わりを書かない小説はゼロと同じです」

秘書「マラソンで最初だけ飛ばしても意味が無いのと同じですよね(笑)」

――先生は行き詰ったりしないのですか。

渡辺「ありますよ。そんな時は、気分を変えます。僕は人が好きだから、いろんな人の話を聞いて吸い取る。そもそも、作家は好奇心が旺盛でないと」

――日記はお書きになりますか。

渡辺「小説に全部書いてしまっているから、日記は書かない。小説は、自分の日記を晒すという覚悟ができてないとだめですね。その上に、虚構を積み重ねてゆく。家族に読まれたらどうしようとか、気にしているうちは、だめ(笑)」

――故郷の札幌に、先生の文学館ができましたね。

渡辺「僕は生きているので、展示を絶えず変えて、行くたびに違うものが見られるようにしています。映像も多く私用していますし、作品の裏舞台とかも紹介しています」

秘書「そこでも先生はご自分を曝け出していて、通知表まで飾ってあります(笑)。すてきな文学館で、デートコースにもなっているようです」

――海外での評判はいかがですか。

秘書「以外に皆さん理解してくださいます。『失楽園』のような心中の話でも」

渡辺「ハーバード大学での講演会の会場は、いっぱいでした」

――ぜひ、バンクーバーへも講演にお越しください。

(取材 藍智子)

渡辺淳一(わたなべ・じゅんいち)氏【プロフィール】
 1933年、北海道生まれ。札幌医科大卒、医学博士。母校での整形外科講師を経て、作家へ転身。70年、『光と影』で直木賞受賞。80年には吉川英治文学賞、03年には菊池寛賞を受賞。 愛の核心に迫った恋愛小説から医学を題材とした作品、歴史や伝記的なものまで、これまで上梓した作品は、130冊に及ぶ。数多くの作品がテレビドラマ化・映画化されており、その1つ、97年の著作『失楽園』は流行語大賞にも選出されている。98年には、故郷札幌に『渡辺淳一文学館』が完成し、一般公開中。趣味はゴルフ。
 
「渡辺文学と私」 藍 智子
 渡辺淳一先生と私の父は、たまたま同郷で、旧制中学と大学で数年ずつ、学び舎を共にした仲である。実際には「仲」というほど近しい友人ではなく、日本の文学界を代表する大作家となった渡辺先生を、「学友だ」と父が一方的に吹聴していたものと私は思っているが。

 先生は昔から勉強がよくでき、特に国語には秀でた才能があったと父は回顧する。また母は先生の若い頃に一度お会いするチャンスがあり、その印象を「大変ハンサムだった」と供述している。相当モテたそうである。取材に伺い、それは過去の産物ではなく、今もなお健在であることも確証した。

 実家の書棚には渡辺文学がずらりと並んでいる。幼少時代より、「このワタナベ・ジュンイチという作家はパパのお友達なんだよ」と言われ続けて育った私は、先生の世間での知名度なぞ知らぬ前から、その名はアタマに叩き込まれていた。「オトナの本」だと思っていたのでページを繰ることも無かったのだが、高校生くらいからか、官能的な香りのする巷の邦画のタイトルと、家の書棚にある本の題名が重なることに気付くようになった。

『化身』『ひとひらのゆき』『桜の木の下で』など、深夜番組や雑誌のグラビアだったのだろうか、有名女優の艶美で切なげな表情の見どころシーンに釘付けになったのを覚えている。「これがワタナベ・ジュンイチの世界なのか・・・」。まだ愛の世界の上っ面もわからない当時の私には、ただただ、気恥ずかしく、また、父の知人であることが必要以上に艶めかしくさせ、実家の書棚の本に手をつけることなく私は 代半ばになった。

 何がきっかけだったか、よく覚えていない。しかし、ある日、先生の作品を一冊手に取った。医者モノだった。物語は、子宮外妊娠が破裂、妊婦が亡くなる現場に若い医者が立ち会うという冒頭だったように思う。その古い本を私は一気に読んだ。いつしか「父の知人」という先入観のような感情は消えていた。以来、おもしろそうなのを選んでは、ぽつぽつと読んできた。が、父に読んでいることを悟られたくないので、そうっと元の場所へ戻したものである。

 タイトルが流行り言葉になるほど話題になった『失楽園』は、本も読んだし、映画館へも足を運んだ。あの文章を、いったいどのように映像にするのか興味があったからだが、映像よりも、先生の文章の方がはるかにエロティックで感動的であった。私はああいう結末に純愛を感じたが、「男女の愛」に否定的な母は、「あんなみっともない死に様は嫌」と言った。

 時を経て、私も一端に「男女の愛」がわかる年頃となった。先生の作品には不倫がテーマとなったものが多い。私は不倫肯定主義ではない。しかし、世の奥様を敵に回すことを承知で言うなら、ある意味「不倫は一番幸せな純愛」だと認識している。社会的なもの、日常生活など、恋愛を不浄にするあらゆるものを取り去り、互いに持ち寄った愛情のみで接するからだ。手に入れることができないだけに、共に過ごせる時間を慈しみ、思いやり、燃え上がる。不倫は、鋭気を養い、会社や家庭での円滑な生活を営む源にさえ成り得る気がする。

 愛の形態は多様で奥深く、人間臭い。渡辺先生は、そこに魅力を感じ、筆を走らせ続けておられるのだと思う。私にとって、愛は人生のテーマだ。先生の書は私のバイブルである。