SPECIAL 2005
2005年3月3日 第10号 掲載
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小紙を含め、移住者の会、隣組、ナショナル日系博物館、矢野アカデミーなど日系団体からの代表者、および日系人間のコミュニケーションに関心を持つ個人、30名近くが参加。現在、それぞれの団体が持つ問題など、活発な意見交換が行われた。日系カナダ人社会で、メディアや教育業界の営利・非営利団体が現在おかれている状況など、我々、日本人、日系人として興味深い内容であるで、紹介したい。
ワークショップの目的
日系カナダ人社会は、カナダにおけるその他のエスニックグループと同様、様々なグループから構成されている。例えば、移民ではない人の多くは、日本の雇用主からカナダに派遣されているため、数年で日本へ帰国する。第二次世界大戦以前にカナダに来た日本人は、戦前、戦後の厳しい時代を乗り切ってきた。さらに、最近日本から移民した人々のグループや学生、ワーキングホリデービザで滞在している人々など。各グループで、日本に対するイメージ、考え方は非常に異なるし、またそれぞれのグループを構成する人の年齢、教育的、そして経済的背景、経験をはじめとする個人的特徴も大きく違う。
このように、それぞれ異なる特徴を持つグループであるため、メディアや教育産業などもグループによって、関わり方など違ってくるはずだが、いかに「日系人社会」という大きな枠の中で対処しているかなどを今回のワークショップでは考えるというものであった。
日系カナダ人の歴史
まずはUBCの日本研究センター研究員の柴田祐子氏から「現代カナダにおける日系カナダ人の多様性」というタイトルで話があった。
柴田さんは5つに大別したグループの日系人女性について長期調査を行っている。第一が戦前、つまり1920年代に移民した一世。第二は第一のグループの娘にあたる二世。第三が三世で第一のグループの孫。第四が戦後、1950年代後半から1970年代に移民してきた日系人で、柴田さんは新一世と名づけた。第五のグループは新一世の娘たち、新二世だ。
特に戦前に移民し、戦争中の厳しい体験をしてきた日系人と、新しい時代に移民してきた人々は、極めて異なるアイデンティティーを持つ。また、1970年代、80年代に移民した人でも、様々な差別と闘ってきた。これらの日系移民の体験は、最近移民した、そして今後移民してくる日本人にとって、日系コミュニティ内での共通文化を知るためにも、また日本とカナダの関係を理解するために重要だという。
世代による異なる価値観
続いて最近UBCアジア図書館を引退され、現在日本研究センター研究員の権並恒治氏の「認識観の相違の克服に向かって〜日系カナダ人社会の事例研究」で、お互いの価値観の違いから生まれる、認識の違い、コミュニケーションや世代間のギャップについての話だ。戦後生まれの二世は、戦前に移民した一世とは異なり、一般的に革新的な価値観を持ち、さらに表現やコミュニケーションの自由をこれまで以上に求めるようになったと、日系二世代間の考え方の違いを挙げる。
コミュニケーションギャップをよく描いたものとして、ロイ・イトウ氏の『Stories of
My People』がある。日系移民の人生観を集めたものだが、この中で、一世と二世の間で教育レベルの違いにより、超えがたいほどの大きな隔たりが戦前にはあった。そんな2つのグループの間でお互いを理解するのに共通の話題として重要な役割を果たしたのが、戦前のバンクーバーで一世風靡した日系人野球チーム、アサヒ・ベースボール・チームだ。イトウ氏曰くアサヒは一・二世間の会話を成立させ、日系社会と白人社会の交流を促進し、日系人の誇りであり、コミュニティのヒーローであった。
現在、様々なグループが相互理解に向かって、日系センターなどをはじめとする日系団体では各種のプログラムを開催している。例えば、ダイアログ・フォーラムは、1996年以降に移民したいわゆる新移住者とカナダで生まれた日系人の間の言語、文化、世代間のギャップを埋めることを目的としたもので、パネルディスカッションの形式で行われている。
お互いに理解しあうために
数々の日系人グループが存在する中で、小紙、バンクーバー新報をはじめ、バンクーバー周辺で発行されている多くの新聞、情報誌は日本語のみの一ヵ国語となっている。権並氏は、二世をはじめ、英語が母国語であるカナダ人の一般読者のためにも、全ページでなくても二ヵ国語、つまりカナダの公式言語の一つの、英語の欄を数ページ掲載することにより、カナダの多言語・多文化の多元的国家政策に応じることを提案する。かつて1970年代にはバンクーバー新報にもあった英語欄の復活が望まれるという。
さらに、日英バイリンガルの新聞は日系カナダ人社会をアピールしていくために有効であり、二世のみに限らず、他のカナダ人も日系社会を認識するようになり、日系人に対する理解が深まる。実際、中国語新聞、星島日報は、数ページは英語だというのだ。
新聞のバイリンガル表記については、日系社会の現状を知りたいと出席していたシンガポールAsia-Inc MonthlyのTai Peng氏より、新聞社の経営上、難しいのではというコメントがあったが、出席者の間でも権並氏の意見に賛成の声が多かった。Tai
Peng氏によると星島日報は香港で発行しているときに、既に数ページは英語となっているとのことだ。元々英語であるもので、カナダで作っているのではない。
ケーススタディ日系テレビが抱える課題
午後からは、組織におけるコミュニケーションをはじめとする問題についてのセッションだったが、特に最近までICAS理事会の会長をされていたUBCの松本先生が、非営利団体として極めて苦しい財政状況について話をしてくれた。
ここ数年の州政府の予算削減により、財政難に陥っている。数年前から理事会や事務局のメンバーもボランティア。事務局はたったの2名が給与を受けているという状況であったが、さらに理事会のスタッフも次々に辞め、事務局もさらに人員整理を余儀なくされた結果、現在では給与の支払いを受けているのはたったの1名だ。
そんな中で、ICASではこれまでの会員からの会費と、企業などの寄付、スポンサー収入を求めるという方法から、若い世代をターゲットにしたイベントの開催などによる資金集めへと方向転換を始めた。若い世代は学生であったり、ワーキングホリデーで滞在していたりと、金銭的にあまり余裕がなく、会員になることができない。しかし、エネルギーにあふれ、意欲的なグループだ。ICASでは参加費が5ドル程度と手頃な、若者向けのイベントをプロデュースして開催することで、成功を収めることができた。企業から大きな寄付が一時期のようには望めないなど、財政状況は依然厳しいが、今後も学生や最近移民したばかりという、若い人の力を活かすような方向を取っていくことになるだろう。
競争が厳しくなる中で
さらに以前は日本語放送というと、ICASの20チャンネルだけであったのだが、最近では競争が厳しくなったことも問題点としてあげる。
最も大きいのがテレビジャパンで、NHK、伊藤忠グループを株主に持つ企業で 時間NHKの番組を放映している。そして2002年に始まったチャンネルM。これらの番組に押され、視聴者が減るなどICASは非常に苦しい立場におかれている。ICASも以前はNHKの朝のテレビ小説をロワーメインランドで放映していたが、2002年にショーケーブルが放送契約システムを変更したこと、著作権の高騰などの結果、放映権を購入できなくなり、変わってローカルマガジンなど独自の番組を制作・放映している。
生き残りをかけて
競争が厳しくなる中、スタジオの維持だけでも1ヵ月千ドル以上が必要であるなど、とにかく資金上で苦しい立場だ。そんな中でICASではインターネットTVの可能性を模索したり、そのウェブサイトMapletown.comで頑張る。Mapletown.comはボランティアが運営するホームページであるが、評判がよく、バンクーバー情報を示すホームページとして大きな役割を担っていくと考えられる。結果、バナー広告も増えてきている。
ICASの苦しい立場に対して、世代間での日系人の問題に直面している、あるいは研究している出席者から、付加価値のあるプログラム制作の提案があった。インターネット時代に殆ど、全ての情報はインターネットで入手できる。そんな中で、会費を払ってどのような番組が見たいかだ。
また、性格が異なる様々な日系人グループが楽しめるものとする必要についても指摘された。最近の傾向として、学生やワーキングホリデーで滞在している若い世代にターゲットが向きがちだが、それでは世代間ギャップという問題の解決にはならないというのだ。そのため、「中間層」をターゲットにすることも提案された。
資金難、人材不足は共通の課題
ICASが詳しく状況を説明してくれたが、資金難は多くの非営利団体が抱える問題だ。日本語学校も同じ。スタッフに満足な給与が支払えない、あるいはスタッフを雇用できないという。隣組は山城事務局長が退職されて、代わる人材を探していたが、有給のポジションにも関わらず、なかなか見つけることができなかった。
すなわち各団体は人員を育てていく必要がある。若い世代は、一般的に帰属意識が薄い。そして時間はあるが、自由になるお金があまりない。しかし、最近の日系社会に大きな影響を持つ。若者世代をいかに活かしていくかが、各団体の活動で鍵となっていくだろう。リーダーシップ養成も一例だ。
さらに若い人に限らず、日系人の人口が増え、裾野が広がっている分、スキルのある人材も増えてきている。リゾースはあるのだから、その活用方法だ。実際、ICASは約百名のボランティアを抱える。
今後の日系社会
多文化主義の国、カナダ。その中でも、日系人ひとつをとっても様々なグループがある。そして、この極めて多様な文化、考えを持った人々の集まりこそがカナダだ。グループ間に存在するギャップを埋め、あるいは少しでも狭めることは大切だという考えを共通に持ちながら、それぞれの努力で実現していきたい。いつかルーツを探しに戻っていくのだから。
(取材 西川桂子)