SPECIAL 2005
2005年1月 4号 掲載
バンクーバーの自宅でくつろぐ桐島洋子さん |
Q:スマトラ沖地震について、何かコメントやメッセージはありますか。
日本だと地震が起きるとすぐに津波情報が伝えられますね。
それなのに、テレビを見ていましたら地震の後だというのに、のんきにみんなビーチにいて、潮が大きく引きはじめても、その意味もわからずビデオをまわして「不思議な光景ですね」なんて言って撮影をしているじゃないですか。
常識が違うんだなと、まず思いましたね。
情報化社会というのは雑多な情報の大津波に、肝腎な情報が呑み込まれてしまう怖い社会なのだなとも思いました。
昔はテレビも何もなくても、生きていくための必須情報ぐらいは、まず親から伝えられたじゃないですか。
私は神奈川県の海辺で育ち、関東大震災の時に家の門まで波が来て怖かったという親の話しを聞いているから、地震と津波はセットで、グラリときたら、すぐ津波を考えますよ。
Q:このことに限らず、自然を見くびっているというか、自然に対して畏れをしらない人が多いですね 。
だから平気で自然を蹂躙(じゅうりん)し汚染する。地球の忍耐ももう限界に来ているのではないでしょうか。
今回の津波の前にも、日本は数々の地震、台風、豪雨、洪水に見舞われてまさに災害列島だったし、アメリカのハリケーンも凄まじかった。
その他、世界のあちこちで、もう覚え切れないほど自然災害が続きましたよね。
これはただごとではないという感じがします。
世紀末に人類が破滅するというノストロダムスの予言は、幸い外れて笑いものになったけれど、その他にもいろいろな予言があって、そのほとんどが二十一世紀初頭に何か壊滅的な事態が来るということで一致しているのは不気味です。
予言なんてオカルトだとバカにするのは簡単だけれど、津波の前に動物たちが一斉に海の近くから逃げ出したように、人間でもある種の勘というか予知能力を持った人っていますもの。
そういう人たちが一斉に不穏な地鳴りのようなものを感じているということは、やはり気になります。
第一、地球が危ないというのは予言というより、今や常識でしょう。
予知能力なんてかけらもない私でさえ、これはヤバイ、いよいよ終わりの始まりかなあと思いますよ。
これだけ資源の浪費や大気汚染を続けてきて、その罰が当たらないはずがないでしょう。
地球が怒っている、悲鳴をあげている、もうこれ以上は耐えられないと最後通牒(つうちょう)をつきつけているのです。
戦争なんかしている場合じゃないですよ。人類が仲良く力を合わせて生活を改め地球の負荷を減らさなければ手遅れになるんです。
Q:桐島さんは、以前からファンドレイジングのパーティを自宅や海外で開かれているようですね。
今までさしたる病気もせず災害にも合わず家族全員無事にここまでやってこられた幸運にいくら感謝しても足りません。
私の替わりに不運を引き当ててしまった方々に、いささかの援護をさせていただければと思い、お金集めのパーティやイベントをときどき行います。
例えばホームページの読者に呼びかけて、自宅で会費制のディナー・パーティを開き、集まったお金を難民援護に回すのです。
日本のウチは狭いから立食でもせいぜい12人。
1日中きりきり舞いしておもてなししても、純益は10万円足らずだとしたら、パーティする間に仕事してその稼ぎを寄付した方がよっぽど簡単だなあと思うこともありますが、ひとりで10万円寄付するより、10人から1万円ずつ集めることに意味があると思い直します。
10人の人が難民について考える機会を持ち、問題意識を共有し、もしかしたら新しい友情を獲得するかもしれないでしょう。
それに日本ではパーティが苦手な人が多いから、この集まりはパーティ教室にもなるんです。
集めたお金は最も信頼できる人物や機関に送っています。
私が海外旅行のついでに直接現地の孤児院などに届けることもあります。
直接ユニセフにでも寄付してしまえばいいと思われるかもしれませんが、東京のあの巨大なユニセフのビルを見て、集まったお金の一部はこのビルのために使われるのかなと思うとちょっと躊躇してしまいます(笑)。
大きな組織ほど、小回りがきかなくて、身動きにお金がかかるみたいだし。
今回のことでも世界中から支援金が集まっていますが、果たしてその全額が被害者たちに届けられているのかということになると心配です。
アジアの一部ではいまだに賄賂的なことが横行していて、100億円贈られたものがいつのまにか10億円に目減りしていたなんてことにもなりかねない。
お金の行方を最後まできちんと見届けることも重要なことだと思いますね。
Q:カナダと日本とファンドレイジングの考え方の違いについて何か感じたことはありますか。
バンクーバーに来て買い物に行ったら小さな豆腐屋さんでも雑貨屋さんでもレジに募金箱が置いてあって津波被害への献金を勧められ、なるほどボランティア先進国は違うなあと感心しました。
日本でも新聞社やテレビがこぞって募金を呼びかけていますが、ここまで草の根的な機動性はないですね。
それに日本自体が風水害だ地震だと災害続き、募金続きのところへまたスマトラ津波でしょう。
新しい事件がおきる度に人々の関心はそちらへ移るから日本の被災地はちよっと切ない思いをしているようです。
日本人はいつも新しいニュースに飛びつき、感傷的になるけど長続きしませんね。
日本のボランティアには「貧しい人を助けてあげましょう。かわいそうな人のために何かやってあげましょう」といった高みに立った考え方や、恩着せがましい態度がしばしば感じられますが、カナダは違いますね。
「やらせていただきますって」いう感じで、自分の生きがいのために、自分の能力を活かす機会をいただいてありがとうという態度が爽やかです。
Q:今回のイベントはいつ頃、どういった経過で企画されたのでしょうか。
大竹香織さんのハープ演奏が毎年1月、ご自宅でホームコンサートとして開かれていますが、今回の災害を知って香織さんのお母様、加代さんがチャリティ・コンサートに切り替えたらどうだろうかって、企画されたので、ぜひ私も参加させてくださいとお願いしました。
尺八奏者の柳内調風先生は東京世田谷南ロータリークラブの会長をなさっていて、バンクーバーのロータリークラブと友好を結ぶため2月8日にいらっしゃる予定だったところ、このイベントのことを聞かれて、1週間予定を早めて、ぜひ自分も参加しファンドレイジングの一端を担いたいと申し出てくださったそうです。
いよいよ輝きを増している若いホープ香織さんのハープと、斯界の最高峰、柳内先生の円熟の尺八。
おふたりの素晴らしい演奏の間に、私が講演などさせて頂けるのは本当に光栄なことだと有難く思っています。
Q:年の3分の1はバンクーバーで過ごされるそうですが、なぜこの地を選ばれたのですか。
「淋しいアメリカ人」で大宅荘一ノンフィクション賞をいただいてからは疾風怒濤の忙しさで家事育児も人任せになり、子供たちがスポイルされていくことに焦りを感じたし、私自身も風船のように膨らんでいく自分の虚像に違和感が募ってきました。
折から「聡明な女は料理がうまい」という本がベストセラーになって、つつましく暮らせば一年くらいもちそうなお金が入ったので、思い切って一年間の大休暇を自分にプレゼントしたのです。
あまりにも慌しかった30代の続きとしてなし崩しに40代を迎えたくない、一度人生をリセットしたいと思ったのです。
人生を時計に見立てると、40歳は正午。
これから午後を有意義に過ごすため充分に生命の洗濯をして、しっかり充電したい。
そのためには日本からも仕事からも離れなければと。
その頃アフリカに夢中で、この壮大なサバンナに子豚どもを放牧したいなあとも思ったけれど、いざ現実として考えると、スワヒリ語よりかはもう少し普遍的な言語を覚えた方が子供たちの人生に役立つだろうし、それならやはり英語圏かなあということで、結局行き着いた先は、ニューヨーク州ロングアイランドの先っぽにあるイーストハンプトンという海辺の町でした。
ここは美しい自然と伝統的な文化が渾然一体となった素晴らしいところで、子供3人に最高の「故郷」を、自然の厳しい試練や、私の母親パワー全開の生活や言葉の躾と共に、プレゼントすることができました。
始終いっしょに野原や森を歩いては、「この草はすりつぶすと、火傷の薬になるのよ」とか、「これはおみおつけに入れると美味しいわ」とか教えながら草摘みをしたり、暖炉で燃やす薪を集めたりするような生活です。
故郷を忘れてシティー・ギャルになりきっていた私でしたが、イーストハンプトンの1年間で、自然児だった自分を取り戻し、子育てが終わったら、ここに戻って来たいと痛切に思ったのです。
でも、いざその時になってみたら、イーストハンプトンはいささか遠すぎるし、ただでさえ高級別荘地だったのがバブルで途方もない金持ちの巣窟になってしまったのですよ。
それでどこにするか迷っていたとき、たまたまバンクーバーに旅行する機会があって、恋に落ちてしまったのですね。
それまでほとんど世界中を旅してたのに、カナダは50歳で初体験。
実はカナダってどうも私が苦手な体育会系のイメージがあったんですよ。
図体は大きいけど総身に知恵が回りかねて、繊細さに欠けているような(笑)。
ところが意外にも凄くいい感じじゃないですか。
アメリカよりしっとりと落ち着きがあり、人が優しく、インターナショナルで、食べ物も美味しい。
そして何よりも自然と文化の調和が絶妙で、観光地くさくない美しさが町中にみなぎっている。
そしてバンクーバーは、上海と葉山とイーストハンプトンという私の三つの「故郷」の性格を網羅した町なのです。
何かに書いたのですが、世界中の美女才女を渡り歩いたプレイボーイが質朴で健康で素顔が美しくダウン・トゥー・アースな女に一目ぼれして遂に年貢を納めたようなものです。
それで現在の家を衝動買いしてから15年かな。年に3回から5回くらいはバンクーバーに来て、合計3分の1くらいはこちらに住んでいますね。
同じ頃こちらに家を買った林真理子さんも深田雄介さんも撤退し、森揺子さんは亡くなり、私だけが残ったわけ。
まあ、忙しい人に別荘は向きませんね。
私はバンクーバーのお陰で、競争社会から「一抜けた」ができ、肩の力が抜け、「足るを知る」の境地に安住して楽しく怠け暮らしています。
でも自然を愛し敬うようになったから、自然を大切にするリデュース、リユース、リサイクルの生活作法は身についたから、生活者としては前よりまめになり忙しくしていますけれど。
(取材 ミネ内田ビイラー)
〜〜〜桐島洋子(きりしま ようこ)〜〜〜
ノンフィクション作家、評論家
1937年東京生まれ。幼児期を上海で過ごし敗戦直前に帰国。
’55年文藝春秋に入社。’65年退社し、フリー・ライターとして世界を放浪。
’67年にはベトナム戦争の従軍記者になる。‘70年「渚と澪と舵」で鮮烈にデビュー。
’73年、アメリカ社会の真相をえぐる衝撃の文明論「淋しいアメリカ人」で第三回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。斬新な発想と痛快な切り口でつづる育児論、
旅行記、女性の自立に関してなどの著書多数。
50歳で子育てを終了したと区切りをつけ、「林住庵」と名づけたバンクーバーの家で年の3分の1を過ごす。
現在、植物療法学(ハーブ)を中心にさまざまな教養講座を設けるオトナの学校「ネスト・オブ・マザーグース」の設立を企画中。
桐島洋子HP http://www.yoko-kirishima.net