SPECIAL 2004
2004年4月 15号 掲載
二重国籍容認をこれから訴えていきたいと語る水本正雄さん |
バンクーバーからのたった一通の電子メールが日本政府を動かした。2003年 月 日付けで日本の主要新聞各紙に踊った成田空港の外国人入国審査についての記事は、水本さんが感じた素朴な疑問から始まった。
何事においてもおかしいと思ったことは正すという姿勢でこれまで取り組んできた水本正雄さん、成田空港での入国審査について、また、自らの国籍問題を絡めた二重国籍容認運動について話を聞いた。
成田空港の外国人入国審査待ち時間短縮の実現へ
日本に帰国した時に感じた素朴な疑問
水本さんは帰国のため2003年9月9日成田空港へ到着した。 以上並ぶ入国審査ブースは、外国人用、日本人用と約半分ずつに分けられていた。しかし、とりわけ外国人用審査の進み方が遅い。日本人用ブースに人影がなくなり約1時間がたっても外国人用ブースの前には依然長蛇の列。
カナダ国籍を取得していた水本さんは順番を待ちながら、なぜこのような状況なのか疑問に思った。「日本人用ブースを開けて対応するということはできないものだろうか」、この問いが水本さんを突き動かすことになる。
小泉総理大臣への提言
順番待ちをしている間、空港入管手続き責任者に疑問に感じたことを告げた。日本語の苦情申出書があるとのことで、とりあえずその場は用紙を受け取り入国した。
カナダに帰国後、結局苦情申し立てをすることなく時が過ぎた2ヵ月後の11 月 15日、asahi.comで小泉首相が観光立国日本を目指し、海外のメディアで「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を行っていることを知った。
これが再び9月の成田空港での出来事を蘇らせたという。「観光立国を目指す日本が、空の玄関である成田空港であのような対応をして、果たして好感を持って外国人に受け入れられる体制といえるのだろうか」との思いから、小泉総理大臣、石原国土交通大臣に
月 日電子メールで提言を送った。
その内容は、入国審査ブースを外国人、日本人用と分けずに、時間短縮のため混雑状況に応じて臨機応変に対応してもらうこと、老人、幼児同伴、病弱者などに配慮した対応を行うこと、英語用の苦情申出書も用意することの3点を強調したものだった。
さらに参考として江田五月参議院議員、朝日新聞にも提言内容を電子メールで送った。
内閣官房からの返事と国会答弁
翌 17日、早速内閣官房官邸メール担当者から、水本さん宛に電子メールが届いた。内容はメールでの意見に対するお礼と総理大臣にこの意見を報告するといったものだった。同日に朝日新聞からも返事が来た。是非とも同紙の投稿欄で取り上げたいとのこと。
しかし、水本さんは官邸からのメールを受け取り、「新聞で取り上げてもらう方がいいのではというアドバイスもありましたが、まあどのくらいやってくれるかわかりませんでしたけど、とりあえずは政府の対応を見てみようと思いました」と今だから笑ってその時の思いを語る。
もしこれで特に進展がなければ、メディアの力を借りるという構想も立てていた。しかし、結果的には政府への賭けが成功した。
11月26日の参議院予算委員会で江田五月議員が、「カナダ・バンクーバー在住の水本正雄さんから成田空港の入国審査時の混雑について意見が来ているが」という引用で、小泉総理大臣、石原国土交通大臣、野沢法務大臣に質問した。その時の回答は異口同音ながら実態を調査し改善するというものだった。
成田空港の外国人入国審査時間短縮へ改善
国会答弁の内容を日本にいる家族からの連絡で知った水本さんは早速江田議員にお礼のメールを送り、 12月2日には、「質問の直後に法務省の入管局が来ました」と江田議員から返信があった。
そして 12月17日付けの日本主要新聞各紙で、「 12月16日東京入国管理局成田空港支局が、 12月17日より入国審査官の弾力的な配置を柱に外国人入国者の待ち時間短縮策を実施すると発表。
さらに日本人、外国人に関係なく高齢者や障害者、妊婦への優先ブースを新設する」という記事が掲載された。
水本さんが電子メールを送った 月 日からたったの1ヵ月。本人ですら驚くほどのスピード対応だった。
「国の行政がこんなに速いとは驚きです」という感想ももっとも。江田議員から事前の報告がなかっただけに、「突然国会で取り上げられたと聞いて、嬉しいのと驚いたのと混ざったような気持ちでした」と振り返る。
観光立国を打ち出している日本の将来のため、その一助になればとの思いから始まった総理大臣への提言。「今回こんなにスムーズに事が運んだのは、ひとつにはタイミングがよかったのかも」と柔らかく笑った。
二重国籍容認を目指して
日本国籍喪失
日本海外移住事業団の紹介によりカナダへ移住したのは1967年。民間企業に就職したが、「日本人を知ってもらうには政府機関で働くのも良案だろう」と思い、そのために1975年カナダ市民権を取得した。その後連邦政府運輸省に就職する。
ところが、1991年カナダに渡って以来 数年ぶりに母親はじめ家族と再会するため日本への帰国準備中に事態が起こった。パスポート申請のため、在バンクーバー日本総領事館をたずねた時に、職業欄にカナダ公務員と記載したことが発端だった。
「その時、領事館の人から、自分がカナダ市民権を持っているか確認されました」と当時を振り返る。「はい」と応えた水本さんに領事館職員は二重国籍が日本では法律違反となる事を説明した。
そして、水本さんはその場で「国籍を捨てていただきたい」と言われ、必要書類にサインを求められた。しかも、市民権を取得した1975年までさかのぼっての喪失となった。
疑問を感じて政府に訴える
「ニュースでフジモリペルー大統領が二重国籍を所有しているという報道がされたのを聞いたんです」と政府に訴えようと決意したいきさつを語る。2000年に起きた一連のフジモリペルー元大統領訪日事件で、1991年の国籍喪失の悲しさと悔しさが蘇る。同時に「なぜ彼がよくて自分はだめなのか」という疑問が沸いた。
「おかしいと思ったことは何でも答えを出したいと思う方なので」(笑)と、在バンクーバー日本国領事館へ自分の疑問に思っていることを訴える書簡を送った。しかし「対応は事務的なものでした」と語る。
CitizenshipとNationality
市民権を取得すると言うことは、日本の国籍を失い、それに伴って厚生年金などが受給できなくなるという実務的なこと以外に感情的な面で打撃が大きいと訴える。
「私はCitizenshipとNationalityは違うと思うんですよ」と言って、Citizenshipとはその国の社会に対する義務と責任を果たすため、自分の権利を主張するために必要なもの、Nationalityとは、もっと感情的で祖国といった意味合いが強いのではないだろうかと説明する。
「日本で生まれ育ち、家族も日本にいる人にとって、国籍を剥奪されるというのは感情的にあまりにも酷な気がします」と同じ境遇にいる人たちの心理を代弁する。
「あっけないものでしたよ。これで、私は日本戸籍上では死んだことになるんですよ」と、自分の名前にバツがつけられた戸籍謄本のコピーを見せながらボソリとつぶやいた。
二重国籍容認に向けての活動
「何かをしたいとは思っています」と前置きして、しかし今は何から手をつけたらいいかを模索中。「いろいろ考えてはいます。もし、私の考えにこの記事を通して賛同してくださる方がいれば、グループを作ってやってもいいと思っています」と二重国籍に対する周りの反応を見ながら今後の行動を考えていきたいと慎重。
「日本経済が落ち込む中、今また、日本の世論の中で若者への海外雄飛推進論が出てきています。
しかし、そのためには雄飛する人たちを支える根本的な法改正が必要なのではないかと思います。海外で活躍する人達が、その国の人から『出稼ぎ者』と見られることなく、活躍の成果が偏見なく評価され、信頼を得ることができる体制が大切だと思います」と語った。
(取材 三島直美)