SPECIAL 2004
2004年3月 10号 掲載
ポットラッチの体験を語る川端氏 |
川端雅章氏は 20年以上にもわたって、日本からカナダを訪れる人々にユニークなツアーの企画を提供してきた、旅行業界のベテラン。特にバードウォッチングや野草観察などを中心にしたツアー企画では第一人者と言われている。さらに最近では、ファーストネーション(先住民)の歴史や文化にも興味が深まり、その縁で外部の人間はめったに招かれることのないポットラッチに参加することができたという。
キーワードは「鮭」
「ファーストネーションの人々と出会うきっかけになったのも鳥なんですよ。NHKのテレビ番組で白頭鷲を取り上げたいという企画が出て、お手伝いすることになったんです。その準備を進めていくうちに、ブリティッシュ・コロンビア(BC)州のファーストネーションの人々の生活や文化に、鮭がどれほど重要な役割を果して来たかということがわかってきたんですね」
川端氏は独特の柔らかな口調と穏やかな笑顔で、ファーストネーションの文化に目を開いたきっかけを語ってくれた。
バンクーバーとウィスラーのちょうど中間点にあたるスコーミッシュ周辺は、川を遡上してくる鮭を求めてたくさんの白頭鷲が集まってくることで有名だ。川端氏は、その撮影準備としてリサーチを進めるうちに、鮭がBC州沿岸部のファーストネーションの人々にとって最も重要な食物であることに気がついたという。膨大な量の鮭の遡上が様々な食物連鎖のきっかけになって豊かな自然を育み、ファーストネーションの人々の暮らしや文化を支えてきたのだ。
この仕事を通して、バードウォッチングや野草観察で鍛えられた川端さんの知的好奇心に新たな刺激が加えられたようだ。川端氏は野鳥や野草の時も、興味を惹かれるとすぐにのめりこんで勉強してきた。ファーストネーションの歴史や文化についても独学で知識を増やしていったようだ。そんな時、あるツアーがきっかけでヌーチャヌルス族のジェフ・ワッツ氏と出会った。
「そのツアーは旅行業界の方々の為の視察旅行だったのですが、その中でロングハウスやトーテムポールなどについて詳しい話をうかがっているうちに、これはもっと先住民の暮らしや文化について知って、エルダー(長老)の知恵を僕たちも学ぶべきじゃないかと思うようになったんです」
川端氏は、このツアーをきっかけにしてワッツ氏にやや強引に(?)弟子入りしてしまったという。数ヵ月間の間にファーストネーションに関する研究書を 冊も読んだ川端氏の熱心な態度にワッツ氏も心を動かされたようで、とうとう彼の結婚式にも招待された。
そしてついに、ポットラッチにも招かれることになったのだ。
ポットラッチで川端氏も「身内」扱い
BC州沿岸部のファーストネーションの文化と歴史を語る時、「ポットラッチ」の習慣を理解することはは不可欠だ。文字で伝承する文化を育まなかったファーストネーションの人々にとって、重要な決定事項や伝達事項が発生すると、近隣の部族全員を招き、その人々を「証人」として立ち会ってもらうことが非常に重要だった。これがポットラッチの本質的な機能だ。招待客に食事や宿舎を提供し、歌と踊りでもてなし、お土産まで持たせる。かつてはこの「お土産」が部族内の富の分配や社会構造の確認にも大きな役割を果たしたようだ。
しかし、この習慣は植民地時代のヨーロッパ人の目には奇異なものに映ったようで、1884年には禁止令が出されてしまう。この法律がファーストネーションの人々の文化の基盤を否定するきわめて「野蛮」なものであったことは言うまでもない。禁止令は1951年まで公式には解除されなかった。
禁止令にもかかわらず、ポットラッチは密かに続けられた。特に、バンクーバー島の北端に近いポート・マクニールからフェリーで30 分ほどの島にあるアラート・ベイでは、逮捕者を出しながらも、その伝統を固く守り続けていたという。川端氏が招待されたのも、このアラート・ベイで催されたポットラッチだった。
「誰でも参加できるパウワウと違い、ポットラッチは招待された人しか参加できません。その部族以外の人はまず参加できないのですが、この度のポットラッチはワッツさんのお母さんの出身部族であるクァクァキーウス族のものだったのです。この部族は比較的オープンなんですね。」と、川端氏は自分がどれほど幸運だったかと、声をはずませて語る。
川端氏が招待されたポットラッチは2003年の 10月 31日と翌日の2日間にわたって行われた。アラートベイに続々と集まった800人あまりの人々は、集落の中心であるビックハウスに入り、部族の有力者や功績のあった人々の死亡のお知らせに始まり、延々と重要事項の伝達が行われる。赤ん坊の紹介、部族の伝統的な名前の襲名披露なども報告される。
「ワッツさんも、今回クァクァキーウス族の由緒ある名前を襲名したんですよ。各ファミリーごとにさまざまな報告が行われ、その合い間に歌や踊りが披露される。ほとんどの伝達は部族の言葉で行われましたが、ワッツさんが内容を英語でかいつまんで教えてくれたので興味はつきませんでした。ワッツさんのファミリーが顕彰された時には、僕も踊りの輪に加わるように言われました。踊るのは照れくさかったですが、ファミリーの一員として認めてもらったようで嬉しくなりました」
伝統的な正装で踊る人々 |
伝統の炎の思い出
単なる好奇心ではなく、ファーストネーションの文化に対する川端氏の真摯な態度と誠実な人柄がアラートベイの人々の心を動かしたのだろう。ワッツ氏のファミリーと共に踊ってから、他のファミリーからも気軽に声をかけてもらえるようになったという。
現代のポットラッチはかつてに比べてかなり簡略化されたようだが、まだまだ驚くほど豊かな食事が提供されるらしい。
「ランチは時間を節約するためか、サンドイッチのようなものなのですが、夕食はビュッフェ形式でさまざまな伝統的な料理が用意されます。バーベキュー・サーモンをはじめ、ハリバット(おひょう)、数の子、ウーリガン(ロウソク魚)
の燻製、バヌック(揚げパン) などがぎっしりでした。
ポットラッチと言えば『お土産』がつきものという話は聞いていましたが、僕もいただいたのですよ。招いた側の人々が持ち寄った品をプラスチックの洗濯籠に分けて入れていくのです。中身はタオルや子供のおもちゃ、干物などで、高価なものはありませんが、ほのぼのとして心が和みました」
お土産というものの本来の温かみが川端氏の心に伝わったのだろう。さらに川端氏は、ポットラッチの何よりのおみやげは多くの人々の温かい心と暮らしぶりに触れた事だと言う。
「ビックハウスの中で燃えつづけた焚き火のそばにいたせいか、僕の着ていたジャケットには煙の匂いがしみついていました。ポットラッチで出会った温かい人達のことを長く心にとどめておきたいので、この匂いはしばらく消えないで欲しいな…と思いましたよ」
川端氏は、これからもファーストネーションの人々の知恵に旅人が触れられるような旅を企画したいと目を輝かせていた。
(取材・宮田麻未/写真・川端雅章&神尾明朗)