SPECIAL 2003
2003年11月 第47号 掲載
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日加修好75周年記念特別講演
「禅と日本庭園」 〜枡野俊明(ますの・しゅんみょう)氏〜

UBCの新渡戸記念庭園の改修を手がけた著名な日本庭園家で、曹洞宗徳雄山建功寺の住職でもある枡野俊明氏による「禅と日本庭園」をテーマにした講演会が、11月7日UBCのボタニカルガーデンで行われた。
“ZEN”への関心の高さを反映して会場は200人近い聴衆で満席。日本語を母語としない聴衆者のために、講演は通訳者山之内悦子氏により英語に通訳された。枡野氏は150枚のスライドを使って、日本と西洋の文化や建築様式、庭園の比較を行い、また禅とは何か、そして禅の生んだ美術、禅の心をとりこんだ庭園とはどんなものなのか、自分の作品とそのデザインに込めた気持ちも紹介しながらわかりやすく説いた。

私にとって空間デザインは“作務”
 寺では、“作務(さむ)”といって、農作業などの労働を、仏道修行として重視しています。私は自分の特技だと思っている“空間をデザインする”ことを、“作務”として位置付けています。社会に私なりに貢献できる方法、場所ということで、寺にいながら庭園を中心とした空間デザインを続けています。
 近頃海外に参りますと、日本庭園に関する興味の高さ、それから禅に対する関心の高さに非常にこちらが驚くことが多いのです。また私の寺にも、インターネット等を通じて、世界各地から弟子入りをしたいという問い合わせが驚くようにくるんですね。私の方が驚いてどうしようかと思ってしまうほどなんですが…。

禅とは…
 皆さんは生まれた時には、自分自身に素直でいられる。ところがだんだん成長するに従って、周りの目が気になったり、こんなことをしたら恥ずかしいとか、どんな目で見られるかわからないとか、社会的地位があるとか、お金があるとかないとかで、自分自身をいろいろなもので縛ってしまうんです。それが体脂肪のように自分を包んでしまう、これを自我とかエゴといった言い方をします。この自我によって本来の自己というものが見えなくなってしまう。禅というのは、座禅を中心にしてそれをできるだけ薄くしていこうと、そしてその訓練が座禅なんです。自己という本来の自分を見失わないようにしようというのが禅です。
 禅の芸術、文化というものは、心を無にして、それを形に置き換えたものだとご理解下さい。
 禅の考えかたに基づいて禅の芸術が生まれるわけですが、本来は分類化できるものではないのですが、禅の美をわかりやすくするために、7つに分類

してみました。
| 不均整−完全を崩したこと。禅では完全には終わりがある、不均整には終わりがないと考える。これでいいというものをきらう
} 脱俗−物事にこだわらぬこと。形ではなく、心の自由を大事にする
~自然−たくまないこと。つまり人間が作ったということを感じさせないこと
静寂−静かなこと。本当の静寂とは雑踏や日常を離れたところではなく、日常の生活の中に静寂というものはある
′ヘ高−枯れかけて強いこと。自由な心、自己を見つけ出して悠悠自適な存在
jネ素−煩雑でないこと。高度に素朴で、単純の美
幽玄−内に秘めた余韻。奥の深さを想像させるもの
禅と日本庭園

 日本庭園とは自然の中からモチーフを選んで、デザインに入れ込みます。禅の庭では滝を好んで使います。といいますのは、鯉が滝をのぼりあげると竜と化す、という伝説があり、この滝を1つの関門としてとらえて、それを突破していくことを、禅の修行に当てはめてよく使われます。
 欧州の庭園は、左右対称(symmetrical)です。欧州は石の文化で、大体2階、3階建てが多い、見下ろした時に綺麗なように庭園を作っています。それに対して日本庭園というのは、常にバランス、釣合いでデザインしていきます。形よりもむしろ空間性とか、そこに漂う空気を大事にするのです。
 庭園などでは、ぱんと抜けた部分を余白といいますが、そこに本当に伝えたいことを込めるのです。禅では一番大事なことは文字や形にならない、そこで余白、間(ま)というものをとても大事にします。
枡野俊明氏の作品から
1カナダ大使館(東京都港区)
現代の枯れ山水に挑戦


現代の枯れ山水に挑戦
現代的空間のデザインです。ここでは(カナディアンガーデン)、現代の枯山水に挑戦したんですが、現代の建築はコンクリート、ガラス、金属と木造建築にはなかった素材で構成されることが多いのです。その時に、伝統的な石の扱いではそぐわなくなってきたので、私は悩んで、悩んで、御影石を使うことにより、現代の枯れ山水に挑んだものです。
 一方ジャパニーズガーデンとして、日本の繊細さ、緻密さを表現した庭園もデザインしました。このカナディアンガーデンと、ジャパニーズガーデンは、この両方の庭園をレセプションホールから同時に見ることができ
ます。それによって、“今私は何をしなければならないのか”ということを、空間から感じてもらおうというのが私の気持ちや考え方です。
 これは今年の4月に完成したばかりのベルリンの融水園の門です。庭園と門と数寄屋造りの茶屋とよばれる建物、すべて私がデザインしました。茶屋は畳を使わず腰掛けを使い、庭を見るための建物としてデザインしました。ここのデザインテーマですが、ベルリンの旧東側にこの庭園があります。統合して12年過ぎているんですが、まだ東と西の意識の格差とか、いろいろな意味でまだ大きな差があります。それを私は、統合するということ、気持ちもみんな一緒になるということで、水のように融けあえば、和ができる。水のように丸いところに入れば丸くなり、四角いところに入れば四角くなる。そういうように東西の人たちの気持ちを融合して和を作り上げて下さい、という気持ちをこめてデザインしました。
物事の無常を感じていただきたい
 これは斎場の庭です。ここは物事の無常を感じていただきたいと思いデザインしました。人間は生まれれば最後はなくなっていく、その、時がうつろいでいく、この水面に映る景色は一時たりとも同じものはないんですね。うつろいでいくことによって、自分の人生、自分の生きることを考えて欲しいと、デザインしました。
心を無にすると芸術の行き着くところに宗教があり、宗教の行き着くところに芸術がある。
 禅的なものの考え方、心を無にするという考え方に立つと、芸術の行き着くところに宗教があり、宗教の行き着くところに芸術があるんですね。そうではなくて、常にいいものを作っていかなければならないという執着の世界に足を踏み入れてしまうと、それは限りない自分との戦いになって、つまづくとお酒などの力を借りて、自分から逃げなければならない世界に入ってしまいます。
 今日のお話が皆様方の日本文化への関心を高める、深める一助となり、またこのたびの日加修好75周年を機に、日本とカナダ、日本とBC州のつながりがなおいっそう深くなっていけば、大変うれしく思います。
            (取材 下坂陽子)

プロフィール
枡野俊明 (ますの・しゅんみょう)
曹洞宗徳雄山建功寺住職
庭園デザイナー(日本造園設計代表)
多摩美術大学環境デザイン学科教授
ブリティッシュ・コロンビア大学特別教授(Adjunct Professor)
略歴:
1975年玉川大学農学部農学科卒業
1979年大本山總持寺にて雲水として修行
1982年日本造園設計創立
1985年建功寺副住職
2001年建功寺住職
ホームページ:
www.ntcom.co.jp/~shunmyo/