SPECIAL 2003
2003年10月 第43号 掲載
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企友会主催緊急ビジネス座談会
「2010年冬季オリンピックの経済効果」


左から岡本裕明氏、山縣洋三氏、ゴードン門田氏、久保克己氏

 「2010年冬季オリンピックの経済効果」をテーマにした企友会主催の座談会が7日、市内のリステルバンクーバー・ホテルで行われた。7月に五輪開催が決定したばかりで関心の高いテーマであること、またバンクーバーの日系ビジネス社会での経験も知識も豊かな、ゴードン門田氏、山縣洋三氏、岡本裕明氏の3名をパネラーに迎えたことから、有意義な情報を得られるのではという期待も高く、平日の夜にも関わらず80名を超す参加者で会場は一杯となった。
司会  企友会会長 久保克己氏
パネラー
OKギフト社副社長 ゴードン門田氏
ヤマガタ・コンサルタント社社長 山縣洋三氏
ブルー・ツリー・マネージメント社社長 岡本裕明氏
 座談会の前半は、参加者に共通の知識を持って議論してもらおうと、冬季五輪開催までの流れや経済効果などについてパネラーが発表を行い、後半は「7年後の五輪に向かって、日系ビジネス界がどんなことを知り、どんな方向に動けば、経済効果を享受することができるのか」について話が進められた。

前半 パネラー3名の発表概要から
バンクーバー・ウィスラー冬季五輪 
2010年2月12日〜28日(17日間)
パラリンピック   2010年3月12日〜21日(10日間)
 予想参加選手は約5000人、報道関係者1万人、ボランティア1万4000人、予想観戦者230万人見込み。2009年からチケット販売開始。
 今年秋にOCOG(バンクーバー・ウィスラー五輪組織委員会)が設立、関連イベントおよびボランティア募集開始は2008−2009年頃。
*市民の高い支持率、環境への配慮が開催 誘致決定への決め手。
 2003年7月に開催が決定したが、キャンベル・バンクーバー市長の選挙公約通り行った市民投票で、60%以上もの賛成を得たことが高く評価された。過去には、バンフのように、地元の反対の声により開催に至らなかったり、立候補を取りやめた例もある。また「環境にやさしい」をうたったことも評価された。既存施設を転用し、乱開発抑制をアピールするなど環境面の配慮が市民の支持にもつながった。バンクーバー・ウィスラー五輪では、今回の五輪だけのための施設建設はわずかで、環境保護という観点からみると極めて重要といえよう。
*五輪招致によりインフラ整備が進む
1) 五輪関係の競技施設,選手村などへの予算は6.2億ドル。国と州で50%ずつ負担。バンクーバーの選手村は開催後、非営利住宅に 転用するなど有効活用が計画されている。
2) この五輪関係直接的投資以外にオリンピック誘致の成否を問わず計画されてい た各種インフラ工事もオリンピック開催に合わせ、工事が進行する予定。
a) 新トレード&コンベンションセンター (総事業費4.95億ドル)は既存のトレード・コンベンションセンター西隣に新設。  2008年完成予定。完成後の新旧コンベンションセンターの総面積は55万スクエアフィート、創設雇用人数は6000人〜7500人。
b)空港、リッチモンドからダウンタウンへの スカイトレイン(RAV線)新設(15億ドル)
c)ウィスラー・バンクーバー間のハイウェイの整備(6億ドル)−すでに工事着工済み。
*その経済効果は?
 23億ドルを投資して開催する五輪の総経済規模は70億ドル〜100億ドルと予想。(BC州政府発表は84億ドル)。経済効果には、直接効果、経済波及効果の2段階。
BC州政府が発表した経済効果レポートより
直接効果
GDP効果:21億ドル
雇用効果:年間5万5千人の新雇用
給料所得:19億ドル増
税金(州):6億600万ドル増
経済波及効果を入れると
GDP効果:84億ドル
雇用効果:7万7千人(BC州の雇用全体の約4%に当る)
給与所得:26億ドル増
税収:8億7300ドル増
バンクーバーの新コンベンション・エキシビションセンターも含めて考えると、
GDP効果:107億ドル
雇用効果:24万4千人
 オリンピックで経済波及効果の恩恵を受け発展した都市には、東京、シドニー、ソウルなどがあるが、一方、モントリオール、長野などは大きな負債を抱えることとなり、一概にオリンピックが地域経済をバラ色にするとはいえるものではない。よって、オリンピックに対し過度の期待をしすぎず、むしろ呼び水として考えるべきではないか。 

 

後半
 7年後の五輪に向かって、日系ビジネス界がこの一大イベントに対し、どんな方向に動けば、経済効果を享受することができるのか
不動産市場動向から
岡本 オリンピックと現在の住宅市場をあまり結び付けて考えたくない。今、住宅市場が活発なのは、低金利と株式投資ブームの沈静化、投資先の多様化で不動産への投資が高まっていることが主要因。五輪効果は確かにマイナスになるわけではないが、今の不動産価格の上がり方はちょっと異常。ダウンタウンのコンドミニアムは半分が投資家による購入であり、実需でないことを含めて考えると個人的な予想としては、2004−5年にかけていったん調整期間があり、2006年から回復に向かうのでは。
 ウィスラー、ペンバートンはインフラのキャパシティに限度があり、今後、大きな伸びが期待できないが、Sea To Sky Universityが建設されるスコーミッシュは住宅開発の目玉なるのでは?同大学新設は2005−6年に住宅建設から得る利益を利用して非営利として新大学を開校予定で、オリンピック開催中はオリンピック関係期間が利用する予定になっている。その他、スコーミッシュ手前の旧マイニングサイトの住宅を含む再開発が本格化しそうだ。
サービス産業が発展の大きな比重に
山縣 経済構造について。過去10年のBC州をみると、林業や漁業といった自然産業から、サービス産業へと大きな変化を遂げている。今後発展への大きな比重を占めるのは、観光産業を中心としたサービス産業ではないか?五輪はバンクーバーをPRするいい機会。外資を導入するいい呼び水になるのでは。日本企業としても日本に宣伝する機会、それを利用して、例えばミッションを組むなどさまざまな方法が考えられる。
バンクーバー万博から学べることは
門田 バンクーバーの発展には、1986年のバンクーバー万博が大変な重要な役割を果たした。過去の万博開催地で、経済波及効果が一番出たのは、バンクーバーではないか。それまでは郊外で開催するケースが多かったが、バンクーバーはあえて、市内に開催地を持ってきて、それより市内の活性化が図られた。北米を見ても、アーバンリビングが一番潤っている。万博後の大きな敷地に、この15年ほどでどれだけの建物が建っていることか。バンクーバーの不動産は他が下がっても下がらず、建てられるそばから売れている状態。この古い工場地帯を活用した万博は五輪とは期間やウィスラーとの共同開催の違いはあるが、アイデアというものが生まれてくるはずだ。この経験に何か参考になるものがあるのではないか。
山縣 私も86年の万博開催中にバンクーバーに赴任してきたが、その時と今のバンクーバーは全然違う。万博を機にバンクーバーは変わった。私企業で香港の財閥であるリー・カーシンがバンクーバーの発展性を見抜いて行った開発が大きい。企業家として先を見る眼、何を具体的に自分の商材にするかが大事。
バンクーバーの世界へのブランド化、つまりバンクーバーが有名な街になることにより、私達が恩恵を受けることは?
岡本 五輪そのものに過度な期待はしないほうがいい。五輪により潤うというよりも、むしろ五輪を呼び水、いや自分達でその経済効果を引き寄せてくる必要がある。五輪はホームパーティのようなもの、と例えた人がいたが、うまく言い当てていると思う。そのためにお金を使って一瞬の華を作る。そこにうまく乗れるかどうかが一つ。バンクーバー、ウィスラーは過去の冬季五輪開催地に比べ世界的に知名度が高いので、うまく利用して日系企業などの便益になるようつなげていきたい。
どんなビジネスがいいのか?
山縣 オリンピックやイベントがテーマ。今回“環境にやさしい”をうたっているだけに、エネルギー関連などの技術で何かおもしろい商品がでてくると興味深い。
日系社会が日本への発信力をつけるには?
岡本 日系社会の各団体が、協力して日本向きの活動をしていく必要がある。例えば、バンクーバーの企業にはどんな企業があって何を売っているのか、またどんな学校があって何故学生が集まっているのか、面白い企業や企画もたくさんあるのだが、あまり知られていない。また、バンクーバーの環境の良さもアピールするべき。日本のメディアへの紹介や、在日カナダ大使館、領事館を通じての広報など、外に向かって1つになってメッセージを送るなどが大事。
 会場からも、「SARS騒ぎの際にトロントとバンクーバーが混同されるなど、自分達が思っているほど、バンクーバーは日本に知られていない」ことが指摘され、「日本の地方自治体が行った町おこし運動にも、自分達が学べるものはあるのではないか」と、まとまりのあるPR活動の必要性を訴える声もあがった。
日系社会の様々な団体が一致協力して行動する時がきた
岡本 現在バンクーバー日系社会にはさまざまな団体が数多くあるが、みんなが協力して動いていく時がきたのではないか。日系団体として一つのパワーを作るには、これら団体が一致協力して、五輪をうまくひきこんでこそがバンクーバー日系社会への経済効果となるのではないか。                     (取材 下坂陽子)