2003年3月 第13号 掲載
オープニングでのボブ・ジョージ氏の癒しの太鼓(左)、キヌコ・ラスキーさん(右) |
3月21日、22日の2日間に渡り、ブリティッシュ・コロンビア大学で「人道に対する犯罪を阻止するためのカナダ会議:アジア太平洋戦争(1931-45年)の教訓」と題した会議が開かれた。
これは今年が人種差別撤廃のための国連宣言40周年にあたることを機に、過去をもう一度見つめ直し将来の戦争の危機を回避するためには何をしたらよいのかをテーマに開かれた会議で、現在でもなおくすぶっている様々な問題が議論された。
焦点は題名にもあるように、アジア太平洋戦争で戦争という大義名分のもとに行なわれた人道に反する様々な行為を正面
から捉え、正確な事実と被害状況を把握し、これらを教訓として将来このような悲惨な出来事が2度と繰り返されることがないよう、我々は今何をしなければならないのかを話し合うものである。
会議は様々な経験とテーマを持つ講演者のスピーチと、問題ごとに個別に小さなグループに分かれてのセッションとの2部構成。1日目のオープニングで、カナダ原住民(バラードネイション)代表のボブ・ジョージ氏が、「人々が平和とハーモニーで一つになるということはどんなにすばらしいことか、平和とハーモニーのために努力することが自分の、そして世界の子孫達のためになる」と平和な未来を作り出す喜びと努力を訴えて会議の幕が開けた。
会議の内容は、日本軍の従軍慰安婦問題、ユニット731と呼ばれる日本軍による細菌戦、南京大虐殺、原爆投下と核戦争、カナダ政府の日系人に対する強制収容制度とその補償問題、そして現在につながる問題として、カナダ原住民の実態、女性に対する暴力、テロリズムに対する戦争、人種問題が主な議題として取り上げられた。さらに、会議2日目にはくしくも会議開催直前に中東で再び勃発した戦争に対しての抗議デモが行なわれた。
2日間の会議中は終始過去に起こった事実を主張する場となり、各講演者達は、今自分たちがどんな状況にあるのか、自分達が抱えている肉体的精神的問題がどれほど深刻なものであるかを聴衆に向かい訴えた。この会議の意義は「大事なことは、彼らの言葉に耳を傾け、民主主義と教育という鍵を使って、将来このようなことが起こらないようにすることである」との開会の言葉が象徴する。最後に、今回の会議を発端に世界中に人道的犯罪阻止の運動が広がり、地球の未来が平和になることを願って閉幕した。
講演者の言葉 キヌコ・ラスキーさん
バンクーバー在住の被爆者。これまで在外被爆者、特にカナダの在外被爆者のために活動。
8月6日に広島に投下された核爆弾の恐ろしさを自らの被爆体験をもとに語るために1日目午後のセッションに参加。
「戦争の恐ろしさは私たちの世代で十分。将来の子供達に平和な世界を与えてあげたい。私がいつも思うのは、心に敵を持たないこと。愛と相互理解のみが世界に平和をもたらすと信じている。今回、戦争中にひどい被害を受けた人達の話を聞いて思ったのは、恐ろしい体験というのは、忘れたくても忘れられないということ。私も被爆という体験をしたので、彼らの感情はよくわかる。しかし、誰かのことを恨んだりしたままでは自分自身が幸せだと感じることができないと思う。彼らに今一番必要なのは、政府の保証だけではなくて、肉体的にも精神的にも周りにいる私たちの理解と手助けだと思う」
デイビット・モーガン氏
核兵器に反対する退役軍人の会(VANA)の代表。第2次世界大戦中はイギリスで過ごし、戦後18才になり英国空軍に入隊。その後カナダに移り地質学を勉強。教師として教鞭を執るかたわら核兵器の恐ろしさを訴える。キヌコ・ラスキーさんと共にセッションに参加。
「現在の世界の情勢は崖っぷちまできている。誰かがちょっと背中を押すと世界が核戦争に巻き込まれる危機がこれまでも幾度となくあった。キューバ危機、ロシアとの冷戦、湾岸戦争。これまでに最も危機的状況にあったのは1980年代半ば。少し下火にはなったものの今でも状況は変わらない。今の核爆弾の威力は広島に投下されたものなど比べものにならない。コンパクトになり遠距離からピンポイントで標的を狙える。しかも、これまで進んでいた核縮小の動きがここにきて一転、ブッシュ政権によって再び核容認の方向に進み始めた。しかし、今からでも遅くない。各国の首脳がもう一度話し合い、小さくても一歩づつ核軍縮に向けて動き出すことを期待したい」
荒井信一茨城大学・駿河台大学名誉教授
茨城大学、駿河台大学で近現代史と国際関係について教鞭を執る。1992年には従軍慰安婦の国際公聴会の代表、93年には日本の戦争責任についてのリサーチセンターの責任者となる。著書に、「戦争責任論」、「第二次世界大戦」、「原爆投下への道」などがある。今回は、講演者として1日目の午前中に「日本の戦争目的と人種主義」という題目でスピーチを行なった。
「今回の講演もそうだが、私がカナダにきて興味を持ったのは1942年に壊滅した日系人の文化的ジェノサイドが日本では全く注意が払われていないということ。アメリカの場合はリトル東京が復興したけど、カナダの場合パウエルストリートを見てそれが全く違うとわかった。現在日本が抱える問題は、韓国、朝鮮、中国に加えてブラジルなどから入国してくる人達でマルチカルチャー的になりつつあるにもかかわらず、一国主義的ナショナリズムが台頭してきつつあることだ。カナダの現在のマルチカルチャリズム政策から何か学べるのではないかと思っている」
真崎良幸氏
上海福岡文化歴史友好協会会長。大学で教鞭を執るかたわら、南京大虐殺についての本の日本語訳をも手がける。大学を退職してからは、日中友好のために、インターネットを使った国際的放送ネットワークを通
じて、南京大虐殺の事実を正確に日本人に伝えるべく活動を続けている。1日目のグループセッションに参加。
「現在、インターネットを使って、世界にこの事実を伝える放送網を確立しようと活動しています。南京大虐殺に関するDVDビデオもカナダと日本で発売され、去年からは日本、韓国、中国3カ国で歴史認識と平和のフォーラムという会議を開き、去年は南京で、今年は3月1日に第2回が東京で、来年はソウルで行なう予定です。今回のような国際的な会議は日本ではほとんど報道されず、とても残念です。日本でももっともっとこういった活動が盛んになればいいと思います」
アート・ミキ氏
元全カナダ日系人協会会長。1984年から92年までカナダ日系協会の会長を務め、1980年代の日系カナダ人強制移動に対する補償請求運動を指導した。1991年にはオーダー・オブ・カナダを受章。2日目の午前中は「日系カナダ人強制移動被害者のための補償請求運動」と題して講演を、午後からはグループセッションを行なった。
「日系コミュニティーは戦前からずっと発言権を奪われてきた。戦争が始まりカナダ政府は日系人をブリティッシュコロンビア州から追放、戦後1949年まで彼らはBC州に戻ってくることを許されなかった。その後もカナダ人として生まれていながらカナダ人として認められず、日系人でいながら日本人であることを恥じてきた。声を持たない1世2世のために、1980年代になり世代が3世となってようやく自らの主張を自らの声として声高に訴えられるようになった。1988年、カナダ政府が日本に帰国した人達も含め、強制移動された全日系人に対して謝罪と保証を認め、ようやく日系人としての誇りとアイデンティティを取り戻し、そして何より自国を語れる心の癒しがなされた。大事なことはこのような事実をこれからの若い世代にも伝えていくことである。補償問題だけでなく、人道に反する人種差別
的行為が民主主義国家でも起こりうるということを、教育で伝えていくことが重要である」
(取材 三島直美)