2003年2月 第9号 掲載
「私は今でもカズヨシ・アキヤマって大きく書かれた看板のことをおぼえているわ。初めての日本人指揮者だったから、名前をどう発音するかもよくわからなかった。だからVSOは『カズヨシ・アキヤマ』っていうのをまるでブランド・ネームのように私達に印象づけようとしたのよね。もちろん、あれから私達はマエストロ・アキヤマのことを忘れたことはないわ」
大学生だった一九七〇年代の初頭からVSOのファンというドナ・ブレンドンさんは、こういって笑顔を輝かす。秋山和慶氏がVSOの常任指揮者として登場した時の鮮烈な印象を語る人はVSOの常連ばかりではなく、一般
市民の中にも少なくないようだ。
秋山氏は一九七二年から八十五年までVSOの常任指揮者を勤めたのち、現在はニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラを始め、北米やヨーロッパの有名楽団に客演指揮者として迎えられている他、東京交響楽団や広島交響楽団などで常任指揮者や音楽監督として活躍を続けている。VSOとの関係も途絶えることなく、毎年数回行われる特別
公演の桂冠指揮者として迎えられる。今年は、二月一〜三日と八日、十日の五日間にわたって、ブラームスのピアノ・コンチェルト第一番やシューベルトの交響曲第九番「ザ・グレート」などの演奏がおこなわれ、オフィウムをほぼ埋め尽くした観客の大きな拍手と「ブラボー!」の声を受けていた。
そのコンサートの準備も大詰めに近づいていた二月六日、秋山氏を楽屋にたずねてVSOへの思いなどを中心にお話をうかがった。
三十年前にバンクーバーにおいでになった時のVSOの状況や観客の反応などについて印象に残っていることからお聞かせ下さい。
一九六八年から六九年まで、トロント交響楽団でアシスタントで指揮をしていまして、その間にバンクーバーへも客演で来たことがあります。そうしているうちに、バンクーバーに呼んでくださるお話が進んで・・・来てみると観客の方々はとてもあたたかいし、オーケストラも熱く燃えている感じがありました。
当時は、トロント、モントリオールについで、バンクーバーはカナダで三 番目の交響楽団と言われていたのですが、トロントやモントリオールに追いつくようにと、非常に意欲に燃えていました。
では、その当時に比べてここ数年の印象はいかがでしょう?
バンクーバーに限らず、世界的にそうなのだと思いますが、ともかく、時間の回転が早くなったというか、世の中が忙しくなったというか、いろんなレジャーがありますし、流行もある・・・昔はシンフォニーの公演は、音楽の公演の主軸のようなところがありましたよね。でも、今は様々なジャンルの音楽の公演がある。ジャズは来るし、ロックの公演もある。それだけに、お客様がそれぞれに分散しているというのは確かに感じますね。
CDなどの普及によって、質の高い音楽を聞くのに、わざわざコンサートに出かけなくても良いのではないか・・・と思っている人も増えてきているのではないでしょうか?もちろん、生の演奏を一度でも聞けば、違いは明らかにわかるとは思いますが。
イヤホーンを耳に入れておけば、自分の音楽の世界に一人で没入することはできるかもしれません。でも、コンサートの会場に来て他の観客といっしょに熱い歓声を発した経験というのは全く違うと思います。これはロックのコンサートでもクラシックでも同じですね。
演奏なさる立場からは、このオフィウムというコンサート・ホールをどう思っていらっしゃいますか?
私はこのホールが大好きです。再建された時から深く係わっているわけですし・・・七七年に、この劇場を取壊そうという動きが出ていました。ここは昔はボードビルの劇場だったわけです。ボードビルがすたれた後は映画館として使われていたのですが、鼠がいそうな、おばけがでそうな建物になってしまって、
壊れる寸前だったわけです。
でも、「取り壊す前に、一度、ともかく音を出してみようよ」ということになって、ライトも裸電球しかないような状態でテストをしたら、非常に良い音だったんですよね。
これをこのままキチンと直したら素晴らしいものになるぞ、ということで保存、再建の運動を始めたのです。
当時は多目的ホールであるクィーン・エリザベス劇場しかなくて・・・でも、あそこはクラシックの演奏には、残響がなくて、向いていないんですね。それで、オフィウムでテストしてみたら、とても良い音だったので「これは絶対直そうよ
」ということになりました。そのころはカナダも景気の良い時期でしたから、バンクーバー市が資金の援助もしてくれて、それで全面
改装ができたわけです。バンクーバーにとって、この劇場はある種の「宝物」だと思いますね。
実際に観客に劇場へ足を運んでもらえるようにするには、今後VSOはどういう方向で進んでいくべきだとお考えですか?
まず、演奏の水準を高いところに保たなければ絶対にいけないだろうと思います。
良い絵を見たり、本当に良い本を読んだりするには努力がいりますよね。美術館へ出かけたり、本を買ったり・・・音楽を味わうにもそうした、若いころからの教育みたいなものが必要ですよね。そのためにも音楽家の方はなんというか、「啓蒙」に努力しないといけないと思います。例えばスクール・コンサートなどにも真剣に取り組んで、若い人達をなんとか仲間に組み込んでいこうという気持ちでね、こちらから飛び込んで行かなければいけないと思っています。
秋山氏は、第二次大戦後、海外留学もままならないころに音楽家としてスタートしている。海外に出れば、日本のクラッシック音楽のレベル、音楽教育のレベルが、自分の実力を通
して試されていると感じるような体験を何度もしてきたという。
「先生も生徒も本当に良い音楽を学びたいとハングリーな状態でしたからね。第一、楽譜もろくになかった。先生にお借りして、一枚一枚手で書き写
したのですからね。でも、それだからこそ音楽が体に入ってきたともいえますね」
秋山氏は芸術家としての成長の苦労や努力を控え目に柔らかな口調で語る。優しげな笑顔の奥に、どのような楽曲のニーズにもきちんと応え、良い成果
を出すことによって「試される」という過程を何度も乗り越えて来た人ならではの、ゆったりとした自信が感じられた。
秋山氏は来年度からエドモントン交響楽団の主席客演指揮者に就任する予定で、バンクーバーでの公演回数も増えるそうだ。
(取材 宮田麻未 写真 神尾明朗)