2003年1月 第3号 掲載


98歳、生涯スキーヤー 三浦敬三氏に聞く

三浦敬三

   現在九十八歳、二〇〇三年二月十五日には九十九歳になるという三浦敬三氏(九十九歳の白寿記念にモンブラン山系最長氷河のヴァレーブランシュ滑降を計画、以下敬三氏)は生涯現役を貫くプロスキーヤー。ここ七年間は冬のシーズン始めをカナダ・ウイスラーで過している。その敬三氏にお話しを伺う機会を得た。
―ウイスラーは七年目だそうですね  この時期としては七年目です。でも昔から来ていた。当時は長屋の平屋が一軒あるだけだったですね。そういう時代から来ていた。三十年ぐらい前(一九七一年)、ここに来るキッカケというのは雄一郎(敬三氏の息子さん、三浦雄一郎氏)が例のエベレスト大滑降(一九七〇年春、日本エベレスト・スキー探検隊のプロスキーヤーであった雄一郎氏が世界最高峰エベレストのサウスコル(八〇〇〇m)からスキー滑降した)、あれをやってですね、その映画を日本の万国博覧で上映して、その時、当時のトルドー首相がその映画を見て感心しましてね、それでこの、ぜひ一つここを見てもらいたいというわけで来たわけなんです。
―トルドー首相の招きで来たのですか?
 そうなんですよ。だから私だけじゃなくて、雄一郎一家と私が招かれましてね。当時は開設して間もないですから、今見ると完全な都会になりましたもんね。もうビックリしました。だからブラッコムもありませんし。この時期以外だと三回か四回来ているんですよ。夏もたしか三回ぐらい来ているんですよ。 (お話しを伺った次の日に、ウイスラー山で写真を撮らせていただいた。その時に、ウイスラーではジム・マッコンキー氏にお世話になり家に招待された。「家にはベランダをくりぬ いて大きな木があり、さすが木を大切にする国だと思った」、またエミリーさんという人にも招待されたが、その人のお孫さんもエミリーさんで、敬三氏のお孫さんも恵美里『エミリ』といってエミリーが三人いたというエピソードも)
―今年もスキーの予定がびっしりの三浦氏。ヴァレーブランシュ滑降への意気込みは?
 ヴァレーブランシュでは三浦一家でやるというのがひとつですね。雄一郎と雄一郎の子供とひ孫ですね(雄大さん、里緒ちゃん)。ひ孫がまだ三歳半ですから、滑れる場所じゃありませんから、ほとんどおんぶして下りることになると思うんですがね。それはまだ決めていませんけどね。親子四代とそれと希望者が非常に多いんですよ。
―健康についてですが、どんなことに気を使っていますか?
 そうですね、まあここでもやってますが、起きればすぐに、まず首の運動を前後左右、それから回す。でその後「口開け運動」というのをやるんですよ。口を開けながら舌をだすんですよ。それを一四〇回ですね。それから深呼吸。(香料の入ったケースを見せながら)これにいろいろな香料が入ってますから、クスノキとかジャスミンとかね。なんでも良いんですが匂いの良いものですね。そして左の鼻で吸うんです。左の鼻で吸うということは人間の右脳を刺激するんですね。人間の右脳は、まあボケ防止とか、頭の働きを良くするとかね。それをやってですね、両方止めて(鼻をつまむ)五秒ぐらいずっとこうやって、そうすると耳に空気がいきますね。これは私は耳が悪いですからこの現状維持にはどうしたら良いかと思って、そうするには鼓膜を内部からこう広げるということ。それと内耳の諸器官をまあ空気圧で多少刺激しようということを考えましてね、それでやりだしたんですよ。その後は息を吐くんですね。吐くのは普通 に吐きます。思いきり吐いてですねそれを二十五回やるんです。その後は普通の深呼吸を十回やります。全体で三十五回ですね。
 その後は立って上体を前後に回す運動とか、それからその腕を前にこう、こういうふうに曲げる運動を。それからスキー体操(ひねりを加えた屈伸)というのを、これは今後変えていこうと思っているんですがね、これを一四〇、五〇回やるんですね。それから外に出ましてね、歩くんですよ。多少余裕があると走るんですよ。距離を決めてそれをだんだんだんだん早くするんですね。
―食事には何か気を付けていますか?
 食事の方は玄米食が主なんですよ。ここに来るにしても玄米を持ってきている。玄米を持ってきて白米を買って半々にしていますが、東京にいる時はほとんど玄米ですね。こっちで先だってスーパーに行って見たら、玄米があるんですね。だから来年はもってこないです。あとはこっちは野菜がすごく安いですね。野菜は白菜の漬け物をやりましてね。白菜を買って、自分で漬けてそれを一日半ぐらいで食べてしまう。それから味噌汁。味噌汁はやはり白菜とかいろいろ野菜がありますね。キノコとかそういうのをいれましてね、味噌汁を作るんですよ。ダシは魚が主なんですよ。魚とか鶏。魚は四種類から五種類ありますね。それを交互に使うんですよ。すると割合おいしいですから。
―ウイスラーでの一日のパターンは?
 朝七時に食事ということになってますから、どうしても五時半に起きないと、体操とかそういうのができないですから、五時半に起きますね 。
―山に登ってからは?
 短いリフトがありますね(フランツチェアー)、あそこでまあ足慣らしをするん

朝の一本目を滑る敬三氏

ですね。それからこっちのエメラルドというリフトがありますね。あれをまあ二本ないし三本ぐらいすべって私は終わりなんですよ。雪が多ければ中間地点まで行く。それから原稿用紙を持っていって他の連中が滑っている間に書いたりしてます。
―息子の雄一郎さんが富士山を直滑降(一九六五年四月二十六日)したり、エベレストを滑ったりしたときはどう思われましたか?
 あれはなんですか、心配させまいとして、真際まで話さないんで私に。もうのっぴきならない状態になって初めて話すんですね。失敗すれば命がないですからね。
―多分あの時にエベレストの頂上に立とうと思えば立てたんじゃないかと思うのですけど。
 えーそうなんですけどね。まあ本人が、あれをサウスコルから直滑降する方が、まあ誰も出来ないという考えでしょうから。
―最後に敬三氏を慕っている若いスキーヤーにアドバイスありますか?
 あー、そうですねえ…。特にないですね…。もう自由に滑ってますもんね。その人達は。だから一定したフォームじゃないですもんね。
―自由にやっているのがいい?
 そうなんですよ。自由自在にすべって…。もし新雪が降るとね、至る所もう滑ってきますね。あれが非常にいいですね。
 私は元来この、八甲田の悪雪でスキーを覚えたもんですからね。ですから自然の状態というのが非常にもう、その、いいですね。まあ、そういうところがまあ、一番好きなんですね。

三浦敬三(みうらけいぞう) 明治37年(1904)2月15日青森市生まれ。北海道大学卒。日本スキー界の草分けの一人。特に八甲田山の山スキーの開拓者として知られる。60歳の還暦に初めてヨーロッパで滑って以来、70歳(古希)でヒマラヤのシャングリ氷河、77歳(喜寿)キリマンジャロ、80歳(傘寿)オート・ルート前半、88歳(米寿)オート・ルート後半、90歳(卒寿)ヴァレーブランシュ、2003年2月99歳(白寿)に再びヴァレーブランシュに挑む。 著書:「雪とともに」(山と渓谷社)、「98歳元気の秘密」(祥伝社)、「99歳、モンブラン大滑降に挑む」(草思社)、写 真集に「遥かなる山を訪ねて」(千早書房)など多数ある。